「糸井重里」の版間の差分

== 来歴 ==
=== 生い立ち ===
[[群馬県]][[前橋市]]出身。生誕後に両親はすぐに[[離婚]]し[[司法書士]]であった父親の元に引き取られ祖母に育てられる。その後、実母と再会したのは[[1981年]]だという。小学校3年の時父親が婚。幼少時から[[漫画]]好きで、[[漫画家]]に憧れていた。中学時代は[[北杜夫]]に熱中した。
 
小学校3年の時に父親が再婚。幼少時から[[漫画]]好きで[[漫画家]]に憧れていた。中学時代は[[北杜夫]]に熱中した。
[[群馬県立前橋高等学校]]に入学。高校に入ると文学青年の友達ができ、[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]文学などに目覚める。また、[[バンカラ]]を気取って一本歯の下駄で学校に通った。高校1年の時にバンドを組みたくなり、お金を稼ぐためにオルガンやピアノのセールスマンの下請けとなり10台売ったという。また、文化祭の企画で「[[ハプニング]]」的なことをやりたくなり、[[江戸川乱歩]]の「赤い部屋」を再現したり、ベトナムの僧侶の[[焼身自殺]]を真似たりした。
 
[[群馬県立前橋高等学校]]に入学。高校に入ると文学青年の友達ができ、[[アンダーグラウンド (文化)|アングラ]]文学などに目覚める。また、[[バンカラ]]を気取って一本歯の下駄で学校に通った。高校1年の時にバンドを組みたくなり、お金を稼ぐためにオルガンやピアノのセールスマンの下請けとなり10台売ったという。また、文化祭の企画で「[[ハプニング]]」的なことをやりたくなり、[[江戸川乱歩]]の「赤い部屋」を再現したり、ベトナムの僧侶の[[焼身自殺]]を真似たりした。
[[法政大学]][[文学部]]日本文学科に入学。1年ほど[[ブルーカラー|ガテン系]]のアルバイトをする。
 
[[法政大学]][[文学部]]日本文学科に入学。1年ほど[[ブルーカラー|ガテン系]]のアルバイトをする。その後、法政大学を中退
 
[[学生運動]]に身を投じ逮捕歴が5回ある<ref>[https://www.1101.com/itoi_500min/2003-12-31.html ほぼ日刊イトイ新聞「糸井重里500分」]</ref>。[[佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争]]に[[中核派]]メンバーと共に参加。[[飯田橋駅]]前で逮捕された。「(エンタープライズの入港は)我々にとって死をもたらす」と[[東京放送|TBS]]のインタビューに答える映像が残っており、「[[筑紫哲也 NEWS23]]」で放送されたときには「若かったですね」と猛省している。
 
=== 就職後 ===
376

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