「反共主義」の版間の差分

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ファシストは[[ナショナリズム]]の立場から、国家や民族を[[階級闘争]]によって分断するとの理由で資本主義と共産主義の両方を批判し、[[第三の位置]]として[[階級協調]]を主張した。
 
多くの歴史学者は[[ファシズム]]をヨーロッパにおける共産主義や社会主義の台頭への[[反動]]とみている。[[ベニート・ムッソリーニ]]によって創立され指導された[[イタリア]]のファシズムは、多くの保守主義者に共産主義者の革命が避けられないとの恐れを与えた[[左翼]]による騒動の数年を懸念する[[国王]]の願いによって、政権を得た。ヨーロッパ中で、資本主義者や個人主義者だけではなく、多くの貴族や保守主義者や知識人が、ファシストの運動に援助を与えた。ドイツでは多数の[[極右]]のナショナリスト集団が発生し、特に[[第一次世界大]]後の[[ドイツ義勇軍]]は[[スパルタクス団蜂起]]とミュンヘン・ソビエト([[バイエルン・レーテ共和国]])の粉砕に使われた。
 
当初[[ソビエト連邦]]は、各国のファシズムに対抗する各国の[[人民戦線]]と同様に、西側列強との同盟の考えを支持していた。この政策は、特に[[イギリス]]などの西側列強がソビエト連邦に見せた不審のために広く失敗した。ソビエトは方針を変更し、1939年にドイツとの間の相互不可侵条約である[[独ソ不可侵条約]]を締結した。[[ヨシフ・スターリン]]はドイツによる攻撃を予測せず、1941年の[[バルバロッサ作戦]]によるナチス・ドイツによるソビエト連邦への侵攻に驚いた。ファシズムと共産主義は、協力関係から敵対関係に転じた。