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'''ブリジット・バルドー'''(''Brigitte Bardot''、[[1934年]][[9月28日]] - )は、[[フランス]]・[[パリ]][[1615区 (パリ)|1615区]]<ref>[http://m.elle.co.jp/culture/celebgossip/Brigitte-Bardot-May-Quit-France-Over-Elephants-13_0108 ブリジット・バルドー、ロ自伝 イニア国籍取得を検討中? その理由とャル……BB』 ELLE(渡辺隆司訳、[[早川書房]]、1997年)</ref>出身の[[俳優|女優]]、[[ファッションモデル]]、[[歌手]]、動物保護活動家である。頭文字が B.B.<ref group="注釈">[[フランス語]]では「ベ・ベ」と読む。</ref>であることから、同じ発音で「赤ん坊」を意味するフランス語 bébé<ref group="注釈">英語のbabyに相当する。</ref>とかけて「'''BB'''」が愛称となる。猫のような目にぼてっとした唇が愛らしく「フランスの[[マリリン・モンロー]]」とも形容され、20世紀の[[ヨーロッパ]]を代表する[[セックス・シンボル]]であった。
 
== 来歴 ==
ブリジットの父は「バルドー」というガス会社を経営をしていた。 ルイ・バルドー( [[1896年]]生まれ、[[1975年]]没。ピルーとあだ名が付けられていた)<ref>Barnett Singer, Brigitte Bardot : A Biography, McFarland & Company, 2006, 208 p. (ISBN 978-0786425150)</ref>、母 アンヌ・マリー・ムセル(Anne-Marie Mucel、[[1912年]]生まれ、[[1978年]]没。トティとあだ名が付けられていた)の間に生まれる。父は「バルドー」というガス会社を経営をしていた
 
アンヌ・マリー・ムセルは専業主婦。幼少期の多くを[[イタリア]]で過ごし、ファッションとダンスが好きな人物であった。
 
父のルイは、[[詩人]]でもあり詩集を出版し[[アカデミー・フランセーズ]]の賞を受賞している。映画、演劇、雑誌のディレクターと親しい付き合いがあった。映画が好きで自分でも8ミリカメラで撮影していた。ルイが37歳の時にアンヌ・マリー・ムセルと結婚する。
 
[[1938年]]の[[5月5日]]にはブリジットの妹、マリー・ジャンヌが生まれた。マリー・ジャンヌは、のちに[[:fr:Mijanou Bardot|ミジャヌー・バルドー]]という芸名で、[[1956年]]から[[女優]]の活動をしていた。[[1970年]]に女優業から退き、家具の制作をしている。[[1960年代]]に[[俳優]][[パトリック・ボーショー]]と結婚し娘が一人いる。
[[1948年]] [[フランス国立高等音楽院]]に受かった。150人中10人の中に選ばれた。[[ブルターニュ地域圏]][[レンヌ]]でクリスチャン・ホワのエトワール・バレエの劇団に参加する。
 
[[1949年]] 雑誌のディレクターを務めるエレーヌ・ラザレフとブリジットの母が親友であったことから、女性向け[[ファッション]][[雑誌]] 『[[ELLE (雑誌)|Elle]]』 のフッションモデル15歳で務める。ブリジットはまもなく皆に気に入れられ雑誌のマスコットに成長し、なり『[[ELLE (雑誌)|Elle]]』の表紙を務めた。
 
[[映画監督]][[:en:Marc_Allégret|マルク・アレグ]]は、雑誌を見てブリジットと会うことを求めたが、ブリジットの両親は、彼女が女優になることに反対した。祖父が彼女を信じて遣らせる事を進め、マルク・アレグレのアシスタント監督(当時)を務めていた[[ロジェ・ヴァディム]]が手掛けた映画 『Les lauriers sont coupés』 に出演した。結果的にその映画が上映されることはなかったが、この映画のために行われたオーディションが[[ロジェ・ヴァディム]]とブリジットを結びつける恋のきっかけとなった。
 
ブリジットの両親は[[ロジェ・ヴァディム]]との交際に反対し、ブリジットは[[イギリス]]で勉強する事になる。成人を過ぎてから戻るように言われるがブリジットは拒否した。その夜、家族でショーを見に行く予定だったがブリジットだけは頭痛を理由に行かず、キッチンのガスを開いて自殺しょうとした。ショーが中止になり早く戻ってきた家族は、ブリジットが意識不明になっているのを発見。意識が戻ったブリジットは[[イギリス]]に行く事を断念するよう父に懇願する。父親は18歳まで結婚しない事を条件にイギリス行きを撤回した。
この歌はバルドーとゲンスブールの[[デュエット]]に加え、バルドーによるあえぎ声の演技を含んでいる。そのことからバルドーはこの歌のリリースを拒否、ほどなくゲンスブールとの関係も円滑でなくなり男女関係解消。[[File:Brigitte_Bardot_-_Sami_Frey_-_Saint-Tropez_-_1963.jpg|thumb|200px|ブリジット・バルドーとサミー・フレイ(右)、1963年]][[1969年]][[10月1日]]、ギュンター・サックスと離婚する。
 
[[1973年]] L'Histoire très bonne et très joyeuse de Colinot trousse-chemise 『スカートめくりのコリノのとても素敵なとても楽しい物語』(日本未公開)を最後に引退宣言して動物愛護活動に専念する。1982年『Toutes les bêtes sont à aimer』(全ての動物は愛す為にいる)の曲の[[シングルレコード]]をリリースする。
 
[[1982年の音楽|1982年]] 『Toutes les bêtes sont à aimer』(全ての動物は愛す為にいる)の曲の[[シングルレコード]]をリリースする。
 
[[1992年]][[8月16日]]、ベルナー・ドルマルと結婚。
 
[[2009年]] [[動物の倫理的扱いを求める人々の会]]、通称PETAの会員で、同会の広告塔であるバルドーは、「カナダのアザラシ猟に対する抗議活動」として、カナダ産[[メイプルシロップ]]のボイコット運動を行っている。
 
[[2011年]] [[日産自動車|日産]][[日産・モコ|MOCO]]の[[コマーシャルメッセージ|CM]]ソングに、ブリジット・バルドー本人が歌う「Ça Pourrait Changer」が使われた<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=AYwDnrB7mBw YouTube>いいなCM 日産 MOCO 一井沙織 「DECA MOCO」篇]</ref>。
 
== エピソード ==
 
== 動物愛護運動家としてのバルドーとその逸話 ==
*[[1962年]] [[屠畜場]]での家畜の殺し方に不満を持ち、[[菜食主義:en:Pescetarianism|ペスコベジタリアン]](肉は一切摂らずに、魚介類、乳製品、卵は摂取するベジタリアン)になる。[[菜食主義|ベジタリアン]]になれとは言わないが一切れの苦しみと恐怖で惨く死んだ動物の肉を食べるのを控えて欲しい。中世時代より悪い !子牛の喉が開いて血まみれで肢が折れた拷問の写真を見て私は長い間泣いた。この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。[[ビーフステーキ]]は恐ろしい罪のない動物を苦しませた結果の死。<ref>Brigitte Bardot, Initiales B.B., Éditions Grasset, 1996, 566 p. (ISBN 978-2246526018)</ref>
 
* [[1962年]][[1月5日]]に放送された[[テレビ番組]]「[[:fr:Cinq_colonnes_à_la_une|Cinq colonnes à la une]]」においてブリジットは、[[屠殺]]用の[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]を持って次の様に語った。食用牛を処理する際、[[イギリス]]や[[デンマーク]]では、[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]で[[頭蓋骨|脳頭蓋]]を撃ち、[[神経]]を麻痺させて苦しみを与えないようにしています。[[フランス]]では[[ナイフ]]で[[喉]]をかき切って意識があるまま3、4、5分もがき苦しみながら出血により死にます。フランスでも[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]で苦しませないやり方をとるよう求めます。<ref>[http://www.ina.fr/video/CAF88025685]</ref>
ベジタリアンになれとは言わないが一切れの苦しみと恐怖で惨く死んだ動物の肉を食べるのを控えて欲しい。中世時代より悪い !子牛の喉が開いて血まみれで肢が折れた拷問の写真を見て私は長い間泣いた。この恐ろしい血まみれの虐殺を世界で誰も告発しないのなら私がする。ビーフステーキは恐ろしい罪のない動物を苦しませた結果の死。<ref>Brigitte Bardot, Initiales B.B., Éditions Grasset, 1996, 566 p. (ISBN 978-2246526018)</ref>
 
* [[1962年]][[1月5日]]に放送された[[テレビ番組]]「Cinq colonnes à la une」においてブリジットは、[[屠殺]]用の[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]を持って次の様に語った。 た。
* [[1964年]] 農林水産省の大臣[[:en:Edgard_Pisani|エドガー・ピザニ]]がこの問題の政令にサインし、[[1970年]]には、大臣[[エドガール・フォール]]が兎と鶏も屠畜場での殺し方を人道的にする。<ref>http://www.fondationbrigittebardot.fr/site/monde.php?Id=105</ref>この後フランスでの屠殺の法律が厳しくなる。
食用牛を処理する際、[[イギリス]]や[[デンマーク]]では、[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]で[[頭蓋骨|脳頭蓋]]を撃ち、[[神経]]を麻痺させて苦しみを与えないようにしています。[[フランス]]では[[ナイフ]]で[[喉]]をかき切って意識があるまま3、4、5分もがき苦しみながら出血により死にます。フランスでも[[:en:Captive_bolt_pistol|ピストル]]で苦しませないやり方をとるよう求めます。<ref>[http://www.ina.fr/video/CAF88025685]</ref>
* [[1964年]] 農林水産省の大臣エドガー・ピザニがこの問題の政令にサインし、[[1970年]]には、大臣エドガール・フォールが兎と鶏も屠畜場での殺し方を人道的にする。<ref>http://www.fondationbrigittebardot.fr/site/monde.php?Id=105</ref>この後フランスでの屠殺の法律が厳しくなる。
 
*[[1966年]]  パリの郊外にある[[ジュヌヴィリエ]]の動物保護協会「SPA」で里親募集を企画した解説者ジョン・ポール・ステガーが「酷い状態で10匹位の犬が死ぬ」とブリジットに知らせ見学する。ブリジットは犬5匹と猫10匹を引き取り映画のスタジオに連れてきて、スタッフに里親になってもらう。
*[[1985年]]  その時の大統領[[フランソワ・ミッテラン]]から[[レジオンドヌール勲章]]を与えられるが、ブリジットは行かず『私の[[レジオンドヌール勲章]]を苦しむ動物たちに捧げる。』と宣言する。
*[[1986年]]  ブリジット・バルドーの動物愛護施設を作る。施設のため、ブリジットは宝石、服、ギターなどを競売にかけて売った。
*[[1989年]]~[[1992年]] - 『S.O.S. Animaux』S.O.S動物と言う番組に出演する。[[象牙]]の不正取引、[[動物実験]]の現状、行き過ぎた狩り、[[エキゾチックアニマル|エキゾチック]]の動物の不正取引、屠畜場の状態など取り上げた。
*[[1994年]] [[ヴァール県]]で猟師に向けてデモ行進する。
*[[1994年]] デザイナーに毛皮をもう使わないよう依頼する。
*[[2011年]] [[東日本大震災]]に対し、他の動物保護とコラボレーションして支援を表明した。
*[[2012年]] [[リヨン]]で飼育されていた2頭の[[ゾウ]]に結核の疑いがあり、殺される予定だったが、ブリジットが政府に何度も手紙を書き、いくつか提案を渡した。政府から良い返事を貰えなかったブリジットは「動物の墓場になる国から逃げ、[[ロシア]]の国籍を依頼する」と手紙に書いた。結局その2頭のゾウは結核ではなく、[[ステファニー・ド・モナコ]]の娘がその事を伝え、助けるよう頼み、現在[[モナコ]]に元気に過ごしている。<ref>https://www.youtube.com/watch?v=Yd-FmmmwZ6s</ref>
*[[2016年]] 3月ブリジット・バレドー保護団体は[[タイ王国|タイ]]の犬を救う。[[アジア]]の国 [[大韓民国|韓国]]、[[中華人民共和国|中国]]、[[タイ王国|タイ]]、[[ベトナム]]などの国では犬と猫は食肉とされる。盗まれた犬又は商品と引き換えられた犬が酷い状態で不正取引される。動物愛護の憲法が厳しくなってから[[タイ王国|タイ]]の政府も厳しく取り締まるようになった。警察と協力し[[ベトナム]]と[[中華人民共和国|中国]]に食肉として運ばれる途中で地元のsoi dog 保護団体とコラボレーションして約500頭を保護する。長年soi dog と付き合いがあり、薬や食べ物囲いを作る援助している。その中の12匹が[[フランス]]に運ばれて[[ノルマンディー|ノルマンディ]]地方にある愛護施設で里親待ちになっている。<ref>https://www.youtube.com/watch?v=G7xpkg63XKI</ref><ref>https!-- ://www.youtube.com/watch?v=G7xpkg63XKI映画『[[エビータ]]』(1997)で毛皮製品を着ていたとの理由で立腹、映画化の権利を剥奪した(これはエビータこと[[エヴァ・ペロン]]が実際毛皮愛用者であったのを映画中で再現した)。--></ref!-- 誰が毛皮を着ていて、誰が怒って、誰が、誰の映画化権を剥奪したのか???-->
 
*とくに毛皮(使用・製造・販売者や肯定派の者)に対しては何人たりと容赦がないことで有名。
**1999年にはフランスの雑誌に、[[中華人民共和国|中国]]の[[江沢民]]に宛てた手紙を書いた。内容は、中国で媚薬のために熊や虎、サイが捕られており、それに抗議するというものであった<ref name="bbc1">[http://news.bbc.co.uk/2/hi/entertainment/424734.stm BBC News Bardot savages Chirac and China]</ref>。
<!-- :映画『[[エビータ]]』(1997)で毛皮製品を着ていたとの理由で立腹、映画化の権利を剥奪した(これはエビータこと[[エヴァ・ペロン]]が実際毛皮愛用者であったのを映画中で再現した)。--><!-- 誰が毛皮を着ていて、誰が怒って、誰が、誰の映画化権を剥奪したのか???-->
*過激な抗議活動で知られる反捕鯨団体「[[シーシェパード]]」を支援している<ref>{{cite news|title=シー・シェパードを支援するエンタメ界の大物たち|date=2010年01月08日|url=http://www.afpbb.com/article/entertainment/news-entertainment/2680528/5138181|accessdate=2012-10-22|publisher=AFPBB News}}</ref>。また、自身の名を冠した船を所有することにも同意している<ref>{{cite web|url=http://www.seashepherd.org/news-and-media/news-110525-1.html|title=The Beast Transforms into a Beauty as Godzilla Becomes the Brigitte Bardot|accessdate=2012-10-22|work=Sea Shepherd}}</ref>。
*[[康芳夫]]の企画していたトラvs格闘家を[[ジミー・カーター]]に働きかけ、中止に追い込んだ。
 
== 主な出演作品 ==
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