「太宗 (唐)」の版間の差分

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'''太宗'''(たいそう)は、[[唐|唐朝]]の第2代[[皇帝]]。高祖[[李淵]]の次男で、李淵と並んで共に唐朝の創建者とされる。[[隋]]末の混乱期に李淵と共に[[太原郡|太原]]で挙兵し、[[長安]]を都と定めて唐を建国した。太宗は主に軍を率いて各地を転戦して群雄を平定し、[[626年]]にクーデターの[[玄武門の変]]にて皇太子の[[李建成]]を打倒して皇帝に即位し、群雄勢力を平定して天下を統一した
 
[[隋]]末の混乱期に李淵と共に[[太原郡|太原]]で挙兵し、[[長安]]を都と定めて唐を建国した。太宗は主に軍を率いて各地を転戦して群雄を平定し、[[626年]]にクーデターの[[玄武門の変]]にて皇太子の[[李建成]]を打倒して皇帝に即位し、群雄勢力を平定して天下を統一した。
 
広い人材登用で官制を整えるなど諸制度を整えて唐朝の基盤を確立し、[[貞観の治]]と呼ばれる太平な世を築いた。対外的には、[[東突厥]]を撃破して西北の遊牧民の首長から天可汗の称号を贈られた<ref>{{Cite book|和書|author=|title=詳説世界史研究(改訂版)|date=|year=|publisher=山川出版社}}</ref>。[[軽騎兵|騎兵]]戦術を使った武力において卓越し、[[文治]]にも力を入れるなど文武の徳を備え、中国史上有数の名君の一人と称えられる<ref>宮崎市定『大唐帝国』中公文庫</ref>。