「ジャガー (自動車)」の版間の差分

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{{基礎情報 会社
|社名= ジャガー
|英文社名= Jaguar Cars
|ロゴ=
|種類= Private Limited Company
|市場情報=
|略称= ジャガー
|国籍=
|郵便番号=
|本社所在地= {{GBR}}、[[コヴェントリー]]
|設立= [[1922年]]
|業種= [[自動車]]製造業
|統一金融機関コード=
|SWIFTコード=
|事業内容= 自動車
|代表者= デイヴィッド・スミス([[最高経営責任者|CEO]])
|資本金=
|発行済株式総数=
|売上高=
|営業利益=
|純利益=
|純資産=
|総資産=
|従業員数= 10000
|決算期=
|主要株主= {{Flagicon|GBR}} [[ジャガーランドローバー]]
|主要子会社=
|関係する人物= [[ウィリアム・ライオンズ]](創設者)
|外部リンク= http://www.jaguar.com
|特記事項=
}}
'''ジャガー'''(''Jaguar Cars'' )は、[[イギリス]]の[[自動車]]メーカー・ブランドである。現在は[[ランドローバー]]とともに、[[インド]]・[[タタ・モーターズ]]傘下の[[ジャガーランドローバー]]の一部である。
さらに1933年には、専用設計の[[シャシ (自動車)|シャシー]]を持つ「[[スワロー・サイドカー・SS1|SS1]]」と「[[スワロー・サイドカー・SS2|SS2]]」を発売しヒットさせ「[[SSカーズ]]」と社名を変更した。これらのモデルは、同じイギリスの高級車で上のクラスに属する[[ベントレー]]をも思わせる見栄えのする外見と内装を備え、不況下でも大いに売れたが、エンジンは量産車メーカー・[[スタンダード・モーター・カンパニー|スタンダード]]製の実用エンジンで性能も凡庸であり、自動車専門家やマニア層からは「見かけ倒しのまがい物」と侮られていた。
 
その世評を打開するため、1935年には、ボディだけでなくエンジンとシャシーを含む全てを専用設計としたモデルを開発することに成功した。この新型車には今までと区別する意味から「'''ジャガー'''」をいう車名を新たに付け「[[ジャガー・マークIV|SSジャガー2½]]」として発表、続いて大排気量エンジンを積んだスポーツモデル「SS90」「[[ジャガー・SS100|SS100]]」を相次いで投入した。新しいジャガー各車は従前からの優れたスタイリングと豪奢な内装に加え、強化されたエンジンと量産効果によるコストダウン戦略の導入で、先発の高級車に劣らない高性能を遙かに安い価格で実現しており(当時、1,500ポンドのベントレーにも比肩する高性能なジャガーが400ポンド足らずで販売された)、高い人気を得た。この頃から、上級車製造を事業の中核に移して行った。上位メーカーに劣らない内外装デザインや性能を、相対的に安価で顧客に提供するというこの手法は、現在まで続くジャガーの基本戦略の1つである。
 
21歳の若さでサイドカー製造メーカーを設立したライオンズは、わずか13年で会社を著名な高級車メーカーへと発展させることに成功した。なお相方のウォームズレイは、事業の拡大に反対しSSカーズへの社名変更直前に会社経営から脱退している。
=== 復活 ===
[[ファイル:1989.jaguar.xj6.arp.jpg|thumb|200px|XJ6(XJ40)]]
1979年、ジャガーは新たな経営トップとして社外から[[:en:John Egan (industrialist){{仮リンク|ジョン・イーガン]]|en|John Egan}}を招いた。彼は乱れた生産体制や経営の改革に着手し、作業員の意欲向上、[[日本]]企業並みの[[品質管理]](QC運動)による生産品質改善、販売手法の刷新と顧客からのフィードバック反映、そして経営の[[リストラ]]を推し進め成功した。
 
そしてその後1984年に、[[保守党 (イギリス)|保守党]]の[[マーガレット・サッチャー]]首相による民営化政策によって、ジャガーは再び民営化された。
 
抜本的な体質改善を行なっに成功したジャガーはさらに、1986年に完全な新設計となるXJ(XJ40)をデビューさせ「低品質」との悪評を打破することに成功した。なおウィリアム・ライオンズは1985年に死去し、この車がライオンズのチェックを受けた最後のモデルとなった<ref>『ワールド・カー・ガイド 12 (ジャガー)』106頁より。</ref>。1975年にEタイプの後継として投入されていた[[ジャガー・XJS|XJS]]も、[[モデルチェンジ (自動車) #マイナーモデルチェンジ(マイナーチェンジ)|マイナーチェンジ]]を重ねて信頼性の向上に努めた他、1980年代後半にコンバーチブルモデルを追加し、アメリカ市場を中心に人気車種となった。
 
また、1985年からは[[世界耐久選手権]](WEC)に参戦し、1986年には[[ジャガー・XJR-8|XJR-8]]でシリーズチャンピオンを獲得、さらに[[ジャガー・XJR-9|XJR-9LM]]で31年ぶりに[[1988年のル・マン24時間レース]]に優勝し、かつての名声を取り戻すことに成功した。
[[2014年]][[9月17日]]、ジャガー日本法人はテニスの[[2014年全米オープン (テニス)|全米オープン]]で準優勝を果たした[[錦織圭]]をV8 [[ジャガー・Fタイプ|F タイプ]]のブランド[[アンバサダー]](大使)に任命したと発表。同年11月20日には錦織選手をイメージした『KEI NISHIKORI EDITION』の発売記念イベントを開催した<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=b26czntFsdA 錦織圭『テニプリ』イラストに感激 ジャガー『Fタイプ KEI NISHIKORI EDITION』発売記念イベント]oriconofficial動画ニュース</ref>。
 
== 日本での呼称 ==
日本では通常「'''ジャガー'''」と[[片仮名|カタカナ]]表記されるが、'''JAGUAR'''の[[イギリス英語]]での[[発音]]を音写すると、カタカナでは場合「ジャギュア」と表記するのが最も近い。[[アメリカ英語]]では「ジャグヮ」と発音する。[[伊丹十三]]が1965年に出版した『[[ヨーロッパ退屈日記]]』には'''「ジャギュア」というのだよ'''という文章があり、知る人ぞ知る読み方となった。[[日本]]ではオースチンローバージャパン(ARJ、後のローバージャパン)が輸入代理店だった1985年頃「ジャグヮー」の表記を広告等で使用したことがあったが<ref group="注釈">「ジャグヮーとお呼びください」というキャッチコピーを使用していた。</ref>、一般には定着せず、ジャガージャパンに輸入代理権が移ると「ジャガー」の表記に戻されている。なお自動車評論家の[[徳大寺有恒]]は「ジャグァー」という表記を使用していた。
 
オースチンローバージャパン(ARJ、後のローバージャパン)が[[輸入車|輸入]]代理店だった1985年頃、「ジャグヮー」の表記を広告で使用したことがあったが<ref group="注釈">「ジャグヮーとお呼びください」というキャッチコピーを使用していた。</ref>、一般には定着せず、ジャガージャパンに輸入代理権が移ると「ジャガー」の表記に戻されている。なお自動車評論家の[[徳大寺有恒]]は「ジャグァー」という表記を使用していた。
 
== 注釈 ==
35,932

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