「学歴信仰」の版間の差分

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{{出典の明記|date=2015年6月}}
'''学歴信仰'''(がくれきしんこう)とは、「学歴」の影響や価値を過大評価することである。類義語で、学歴の低い者を軽侮することは'''学歴差別'''(がくれきさべつ)と呼ばれる。
 
== 各国の傾向 ==
学歴(個人の学業経歴)を信仰してしまうような人がどの程度の割合いるのか?ということについては、地域や時代や思想によって異なっていることが明らかになっている。
 
[[2004年]](平成16年)に[[内閣府]]が[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[ドイツ]]・[[スウェーデン]]・[[日本]]・[[大韓民国|韓国]]における青年の意識について調査結果を「世界青年意識調査」として発表した。それには「学歴観」の調査が含まれており、それによって明らかになったことは、それらの国の中では、韓国で突出して学力信仰が強い、ということである<ref name="kawazoe">河添恵子『アジア英語教育最前線: 遅れる日本?進むアジア!』p.74。</ref>。
 
調査された国の中では「[[大学]]に通う意義・理由」としては、アメリカと日本では「学歴」は3番目、ドイツやスウェーデンでは「学歴」を理由に選んだ人は非常に少なく最下位であった。アメリカでは「一般的・基礎的知識を身につける」が80.2%、ドイツも同様の解答が75%と一番多く、スウェーデンでも「自分の才能を伸ばす」が68.4%で一位であった<ref name="kawazoe" />。それに対して、韓国では「大学に通う意義・理由」の回答として「学歴や資格を得る」を挙げた青年が52.5%と1位であったのである<ref name="kawazoe" />(→[[#韓国|後述]])。
 
=== 日本 ===
{{See also|日本の教育|日本教育史}}
==== 明治・大正・昭和初期~第二次世界大戦前 ====
[[明治]]・[[大正]]・[[昭和]]初期~[[第二次世界大戦]]前([[戦前#日本史における「戦前」|第二次大]][[日本]]における学歴信仰の特徴は、「''末は[[博士]][[大臣]]か''」という語に象徴される。これは、これらの[[職業]]東京帝国大学(現・[[東京大学]])や京都帝国大学(現・[[京都大学]])に代表される[[帝国大学]]や[[慶應義塾大学]]や[[早稲田大学]]に代表される老舗有名私学(戦前[[日本の高等教育]]機関:[[旧制高等学校]]・[[旧制大学]]等)を卒業した者が就く例が多かったことに由来する。全国的には、大学[[進学率]]は低く、[[尋常小学校]](戦時中に[[国民学校]]に改組、戦後~現在の[[公立学校|公立]][[小学校#日本の小学校|小学校]]に相当)卒業や[[高等小学校]](戦後~現在の小学校高学年・[[中学校]]に相当)卒業で就職する者や、実業系[[中等教育]]機関(第二次大戦後は[[商業高等学校]]・[[工業高等学校]]や[[高等専門学校]]などの実業系高校に変化した)を卒業して就職する者など、学歴は多様であった。
 
==== 第二次世界大戦後・昭和後期~平成 ====
受験戦争それ自体は、とりわけ[[大学受験]]に関しては、[[1978年]]度([[昭和]]53年度)の[[大学共通第1次学力試験|共通一次試験]]の開始・[[1990年]]([[平成]]2年)以降は[[センター試験]]導入によって、拍車がかかったともされる<ref>前原寛 古賀靖之 寺園康一 茂山忠茂 堀口博美 小谷敏 『現場報告・子どもがおかしい―子どもが壊れる理由を探る』</ref>。
 
[[1996年]](平成8年)の段階で、「この20年ほどの間に、社会の中の学歴信仰や学校信仰には、明らかに陰りが見えはじめた。」と書かれている<ref name="housei">Bulletin of Faculty of Letters, Hōsei University
, 第 42~44 号 p.126</ref>。学校が提供する価値や情報よりも、今日の黄熱した[[消費社会]]や[[サブカルチャー]]が提供する価値やモノの方により多くの魅力を感じ、そこに自らの存在感や生きている意味を見出す若者が増えた、と指摘されているのである<ref name="housei" />。
 
大学関係者側からも学歴信仰は問題視されるようになっていた。日本の大学(「[[日本の高等教育#大学]]」も参照)での[[学問]][[教育]]の在り方が危機的な状況になってしまった原因としては、学歴信仰が指摘されることが多い、と[[1979年]](昭和54年)の『日本の大学』には記述されていたのである<ref name="n_daigaku">『日本の大学:その現状と改革への提言』勁草書房、1979</ref>。すでに学歴信仰が存在することが[[社会問題]]化していた。
 
[[1970年代]](昭和45年-昭和54年)の終わりには、[[産業]]界側からも、もう“学歴”などというあてにならないものではなくて、実際の能力が必要なのだ、といった内容の声が高まってきた、と指摘され<ref name="n_daigaku" />、具体的に[[日本経営者団体連盟|日経連]]の労務・人事関連の委員がどのように考えているか、ということも紹介されていた<ref name="n_daigaku" />。
 
子供の側の意識については、少なくとも[[1990年代]](平成2年-平成11年)の初頭から[[子供]]たちの[[]]の中で学歴信仰は崩れ始めていた、と中川浩一は指摘している<ref name="ronsou">中川浩一, 中央公論編集部『論争・学力崩壊』中央公論社、 2001、pp.20-22 </ref>。大人が想像する以上に、子供たちは社会の変化を敏感につかむ<ref name="ronsou" />、と指摘されている。
 
一方、日本における学歴信仰の影響は今も残っており、[[官僚#日本の官僚|官僚]]となる[[国家公務員]]総合職の採用者数は、院卒([[修士]]・[[博士]]号)、大卒([[学部]]卒・[[学士]]号)ともに[[東京大学]]が圧倒的なトップを占めている<ref>{{Cite web
|date = 2012-04-16
|url = http://nc.chukyo-u.ac.jp/shikaku/koumuin_sokuhou.html
|title = 公務員・教員採用試験合格実績|publisher=[[中京大学]]
|accessdate = 2015-04-02
}}</ref>。また、東証第1部上場企業の新入社員の初任給の水準は、[[大学院]][[修士]]で22万2933円、[[大学]][[学部]]卒で20万4782円、[[高等学校#日本の高等学校|高校]]卒で16万883円程度となっている<ref>{{Cite web
|date = 2012-04-16
|url = http://www.rosei.or.jp/research/pdf/000056713.pdf
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=== 韓国 ===
{{See also|大韓民国の教育}}
[[大学教育|韓国]]は、日本と同じく以上に[[儒教]]的な文化が色濃く、年長者を崇敬して年少者を軽侮したり、様々な印によって高低を付けるなど、何かにつけて[[ヒエラルキー]]を強調・強化する傾向を持っている{{要出典|date=2015年7月}}。これが、産業界の人事・給与制度に波及して、高学歴者への崇敬を過度に織り込んだ状態に陥ってしまっている{{要出典|date=2015年7月}}。
 
韓国の青年にこうした学歴信仰が起きてしまう背景には、韓国の産業界に高学歴者への崇敬が蔓延していることが大きく影響している。韓国政府の『賃金構造基本統計調査報告書2000』では、高卒の賃金を100とした時に、中卒が87.8で大学以上が150.9となっていた。