「台湾沖航空戦」の版間の差分

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戦果誤認は以前から問題になっており、[[中澤佑]]軍令部部長によれば、連合艦隊司令部の報告から不確実を削除し、同司令部に戦果確認に一層配慮するように注意喚起していたが、同司令部より「大本営は、いかなる根拠をもって連合艦隊の報告した戦果を削除したのか」と強い抗議電が参謀長名(福留繁中将)で打電され、結局反論なくうやむやになっていた<ref>戦史叢書37 海軍捷号作戦(1)台湾沖航空戦まで 726頁</ref>。軍令部参謀[[藤森康男]]によれば、疑念もあり軍令部作戦課はさらに検討を加えたが、さしあたり公的には現地部隊報告を基礎に資料作成するほか名案もなかったという<ref>戦史叢書45大本営海軍部・聯合艦隊(6)第三段作戦後期 447頁</ref>。
 
陸軍の[[大本営]]情報参謀であった[[堀栄三]]の回想によれば、フィリピン出張の途上で台湾沖にて航空戦中であることを耳にして、「今までの戦法研究で疑問符のつけてある航空戦だ、この眼で見てみよう」と思い立ち、[[鹿屋航空基地|鹿屋]]で実際の航空兵から戦果確認方法について聞き取り調査を行ったが、戦果に対しての疑問は解消できず、'''「この成果は信用出来ない。いかに多くても2、3隻、それも航空母艦かどうかも疑問」'''と大本営陸軍部第二部(情報)長宛に打電した。<ref>「大本営参謀の情報戦記」 160頁-164頁</ref>その後作戦課へ報告されたが、省みられることがなかったという。
堀は、10月15日にマニラに到着後、17日に南方総軍司令部第2課で台湾沖航空戦の戦果に再検討を加え、米軍の健在な空母を12隻と計算し、[[第14方面軍 (日本軍)|第14方面軍]]司令官の山下奉文大将、参謀副長の[[西村敏雄 (陸軍軍人)|西村敏雄]]少将に報告し、さらに航空戦の戦果ほど怪しいものはなく、ブーゲンビル島の地上戦で敗北したのは海軍の[[ろ号作戦]]の過剰な戦果報告が原因だと報告した際、米軍艦載機によるマニラ空襲が行われており、山下大将と西村少将は堀の報告を信じたという<ref>「大本営参謀の情報戦記」 171-172頁</ref>。