「ロバート・デ・ニーロ」の版間の差分

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| 主な作品 =『[[ゴッドファーザー PART II]]』<br />『[[タクシードライバー (1976年の映画)|タクシードライバー]]』<br />『[[ディア・ハンター]]』<br />『[[レイジング・ブル]]』<br />『[[アンタッチャブル (映画)|アンタッチャブル]]』<br />『[[グッドフェローズ]]』<br />『[[ヒート (1995年の映画)|ヒート]]』<br />『[[ミート・ザ・ペアレンツ]]』シリーズ
| アカデミー賞 = '''[[アカデミー主演男優賞|主演男優賞]]'''<br />1980年『[[レイジング・ブル]]』<br />'''[[アカデミー助演男優賞|助演男優賞]]'''<br />1974年『[[ゴッドファーザー PART II]]』
| ゴールデングローブ賞='''[[ゴールデングローブ賞 主演男優賞 (ドラマ部門)|主演男優賞(ドラマ部門)]]'''<br />1980年『レイジング・ブル』<br /> '''[[ゴールデングローブ賞_ セシル・B・デミル賞|セシル・B・デミル賞]]'''<br />[[第68回ゴールデングローブ賞|2010年]] 長年の功績に対して
| 備考=
}}
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== 生い立ち ==
[[ニューヨーク]]の[[グリニッジ・ヴィレッジ]]出身<ref name="tca">Stated on ''Inside the Actors Studio'', 1998</ref>。父親のロバート・デ・ニーロ・Sr.と母親のヴァージニア・アドミラルはともに[[画家]]。父は[[イタリア]]系及び[[アイルランド]]系であり、母は[[イングランド]]、[[ドイツ]]、[[フランス]]、[[オランダ]]の血を引いていた<ref>{{cite web|title=Robert De Niro Biography| url=http://www.contactmusic.com/info/robert_de_niro|publisher=contactmusic.com|accessdate=December 7, 2010}}</ref><ref>{{cite book|last=Dougan|first=Andy|title=Untouchable: a biography of Robert De Niro|year=2003|publisher=Da Capo Press|isbn=1560254696|page=145|url=http://books.google.com/books?id=vMoLAVV4yTQC}}</ref>。2歳の頃に両親が離婚し、母親の元で育てられたが、父親も近くに暮らしていたため行き来して育つ<ref>Dougan,p. 10.</ref>。少年時代から役者に憧れ、ステラ・アドラーの下で演技を学んだ後に、名門[[アクターズ・スタジオ]]に通った<ref name="Dougan, pp. 17-18">Dougan, pp. 17–18.</ref>。一時期ヨーロッパに出向き、各国を渡り歩きながら演技の修行をしていたこともあった。
 
== キャリア ==
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出世作である『[[ゴッドファーザー PART II]]』をはじめ、『[[タクシードライバー (1976年の映画)|タクシードライバー]]』、『[[ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ]]』、『[[アンタッチャブル (映画)|アンタッチャブル]]』、『[[グッドフェローズ]]』、『[[カジノ (映画)|カジノ]]』など犯罪映画に多く出演してきたが、[[1980年代]]半ばからは[[コメディ映画]]などでも成功を収め、近年は『[[ミート・ザ・ペアレンツ]]』や『[[アナライズ・ユー]]』でコミカルな役柄を演じるなど幅広い演技力を見せている。
 
[[1988年]]には、[[ジェーン・ローゼンタール]]([[:w:en:Jane Rosenthal|Jane Rosenthal]])と共同で、プロダクション「トライベッカ (トライベッカフィルムセンター)」を設立。初監督となった[[1993年]]の『ブロンクス物語/愛につつまれた街』など、監督や製作としても活躍している。
 
2013年には『[[世界にひとつのプレイブック]]』で11年振りにアカデミー助演男優賞にノミネートされ、60歳を超えてもなお精力的に活動を続けている。
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* 『タクシードライバー』では3週間、[[ニューヨーク]]で[[タクシー]]ドライバーとして働いた<ref>Dougan, p. 75.</ref>。
* 『ディア・ハンター』では、物語の舞台となった[[ピッツバーグ]]に撮影数ヶ月前から偽名で暮らしていた。さらに鉄工所で働こうとしたが、現地の人に拒否されたという。
* 『レイジング・ブル』ではミドル級ボクサーの鍛え抜かれた肉体を披露し、その後、引退後の姿を表現するために体重を20キロも増やした。<ref name="tca"/>このためにイタリアに赴いて、現地のあらゆるレストランを食べ回った。
* 主人公が[[ユダヤ人]]の『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』では、ユダヤ人家庭に[[ホームステイ]]した。
* 『アンタッチャブル』では頭髪をそり上げ、[[アル・カポネ]]を演じた。体重は直後に別の映画出演が決まっていたので太るわけにいかず、ボディスーツを着用したが、顔だけは太らせて撮影に臨んだ。
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| [[ミート・ザ・ペアレンツ2]]<br />''Meet the Fockers'' || ジャック・ティベリウス・バーンズ || 出演・製作
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| [[サン・ルイ・レイの橋]]<br />''The Bridge of San Luis Rey'' || リマの大司教 || 日本未公開 DVD[[リリース]]
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|2005|| [[ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ]]<br />''Hide and Seek'' || デヴィッド・キャラウェイ/チャーリー ||
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| [[ボーダー (2008年の映画)|ボーダー]]<br />''Righteous Kill'' || トーマス・"ターク"・コーワン ||
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|2009|| [[みんな元気 (2009年の映画)|みんな元気]]<br />''Everybody's Fine'' || フランク・グッド ||日本未公開
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|rowspan="3"|2010|| [[マチェーテ (映画)|マチェーテ]]<br />''Machete'' || ジョン・マクラフリン議員 ||
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| [[ストーン (映画)|ストーン]]<br />''Stone'' || ジャック・メイブリー ||
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| [[ミート・ザ・ペアレンツ3]]<br />''Little Fockers'' || ジャック・ティベリウス・バーンズ ||日本未公開
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|rowspan="4"|2011|| [[昼下がり、ローマの恋]]<br />''Manuale d'am3re'' || エイドリアン ||
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| [[リベンジ・マッチ]]<br />''Grudge Match'' || ビリー・"ザ・キッド"・マクドネン ||
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|2014|| [[ザ・バッグマン 闇を運ぶ男]]<br />''The Bag Man'' || ドラグナ ||
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== 出典 ==
{{Reflist|2}}
 
=== 参考文献 ===