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だが、[[平安時代]]に台頭した[[天台宗]]や[[真言宗]]では巨大な僧房は設置されず、既存の宗派([[南都六宗]])でも私僧房である[[子院]]を建てる高僧が登場した。また、僧房でも高僧が1人で房を独占したり、仏堂や[[御影堂]]に改装されるようになり、[[鎌倉時代]]から[[室町時代]]にかけて本来の機能を喪失していった。ただし、近世の[[禅宗]][[檀林]]に併設された学寮の中には古来の僧房の伝統を継承した施設もあった。
 
なお、私僧房には○○房(坊)という個別の名(房号・坊号)がつけられるようになり、大寺院に付属する子院や塔頭の名となるようになった(京都[[寂光寺]]の[[本因坊]]など)。一方で、私僧房は寺院における[[寺務所]]・住僧の住まい([[庫裏]])となり、大寺院の僧房でその寺の寺務を取り仕切る僧房は'''本坊'''(ほんぼう)と称されるようになった(京都六角堂[[頂法寺]]の[[池坊]]など)。ちなみに、日本浄土宗の祖とされる[[法然]]の号は房号(法然房の略)であり、諱は源空(げんくう)である。
 
== 遺例 ==