「熊野街道」の版間の差分

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室町時代以降は、熊野御幸の御師をつとめた熊野[[修験道|修験]]が参詣経営から後退したため、畿内からの熊野への参詣道が複数成立するようになり、渡辺津から紀伊田辺までを[[紀伊路]]、紀伊田辺から熊野本宮までを中辺路と区分するようになった。これにともない、熊野街道の称は熊野へ通ずる街道を全体として総称する、やや曖昧な用語になった(注1)。
* (注1)同じく[[熊野古道]]のひとつ[[小辺路]]も、熊野(街)道と称されることがあるが、歴史的由来からすると(少なくとも参詣道としては)比較的浅いものである。
 
明治以降は熊野への参拝は少なくなり、街道は鉄路の発達や近代的道路の整備などによりその道筋や機能を失っていく。しかし、熊野に近い山間部には、今なお当時の姿を残す熊野古道があり、貴重な歴史的遺産および地元の観光資源として重要な役割を果たしている。