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{{otheruseslistotheruses|[[トーマス・ジェファーソン|トマス・ジェファーソン]]の夫人|トマス・ジェファーソン夫妻の娘|マーサ・ワシントン・ジェファーソン}}
{{Infobox_Officeholder
| name = マーサ・ジェファーソン<br />Martha Jefferson
| image = Martha Jefferson.jpg
| caption = マーサ・ジェファーソン(唯一の肖像と考えられているシルエット)
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| birth_date = {{生年月日と年齢|1748|10|30|no}}
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'''マーサ・ウェイルズ・スケルトン・ジェファーソン'''('''Martha(Martha Wayles Skelton Jefferson''' , [[1748年]][[10月30日]] - [[1782年]][[9月6日]])は、第3代[[アメリカ合衆国大統領]][[トーマス・ジェファーソン|トマス・ジェファーソン]]の夫人([[アメリカ合衆国のファーストレディ]])であるが、夫が大統領に就任する前に死亡した。
 
== 複雑な家庭環境 ==
[[1748年]][[10月30日]]に[[13植民地|イギリス領北米植民地]]の[[バージニア植民地|バージニア王室領植民地]][[チャールズシティ (バージニア州)|チャールズシティ]]にて裕福な[[弁護士]]兼[[プランテーション|農園]]主であるジョン・ウェイルズ(1715-1773) 1773年)の娘として生まれた。彼の最初の夫人マーサ・エップス(1712-1748)はマーサを産んだわずか6日後に死亡した<ref name="Ladies">{{Cite web|url=http://www.firstladies.org/biographies/firstladies.aspx?biography=3|title=First Lady Biography: Martha Jefferson|publisher=National First Ladies' Library|language=英語|accessdate=2014年4月12日}}</ref>。
 
父のウェイルズは3度の結婚の後に[[奴隷]]として所有していた{{仮リンク|ベティ・ヘミングス|en|Betty Hemings}}を[[]]とし、彼女との間に6人の子供をもうけた。[[1773年]]にウェイルズが死亡したために、マーサと彼女の夫の[[トーマス・ジェファーソン|トマス・ジェファーソン]]がベティと彼女の子供たちの所有を継承することになった<ref name="Ladies" />。
 
== 結婚と家族 ==
マーサは[[1766年]]11月に18歳で裕福の弁護士のバサースト・スケルトン(1744-1768) 1768年)と最初の結婚をした<ref>{{Cite book|author=[[宇佐美滋]]|title=ファーストレディ物語|publisher=[[文藝春秋]]|page=70|isbn=4167325020}}</ref>。ところが、スケルトンは[[1768年]]に亡くなり、結婚生活はわずか1年10ヶ月で終わった。マーサは20歳の若さで未亡人となってしまった<ref name="Ladies" />。[[1767年]]に生まれた2人の唯一の子供のジョンは[[1771年]]にわずか4歳で亡くなった<ref name="Ladies" />。
 
[[チェンバロ|ハープシコード]]を上手に弾くマーサと[[ヴァイオリン]]を弾くトマス・ジェファーソンはすぐに意気投合した。別の求婚者がマーサを訪れたところ、すでに先客のジェファーソンと仲良く歌ったり、演奏したりしているのを見て、諦めて帰ったという逸話も残っている<ref>{{Cite book|author=宇佐美滋|title=ファーストレディ物語|publisher=文藝春秋|page=70-71}}</ref>。[[1772年]][[1月1日]]に2人は結婚式を挙げた<ref name="Ladies" /><ref name="white" />。
 
マーサ・ジェファーソンは夫のために重要な公的役割も担った。[[マーサ・ワシントン]]からの要求に応じて[[ジョージ・ワシントン]]の軍隊兵士に必要な物資を調達するため婦人会に働きかけた<ref name="Ladies" />。
 
マーサは表情豊かで優雅であり、細身の体格に薄茶色の大きな目と赤褐色の髪の持ち主だったと言われている。とても美しかったとの記述もある<ref name="Legacy">{{Cite web|url=http://www.jeffersonlegacy.org/commentary.html|title=The Unknown Presidential Wife: Martha Wayles Skelton Jefferson|publisher=Jefferson Legacy Foundation|language=英語|accessdate=2014年4月12日}}</ref>。しかし、彼女の顔画像は残っておらず、シルエットが1つあるのみである<ref name="Ladies" />。
 
裁縫が得意であり、彼女の音楽の本といくつかの[[刺繍]]が残されている<ref name="Legacy" />。ジェファーソンは彼女に深い愛情を注いだが、妊娠・出産の繰り返しによって元から病気がちだった虚弱体質はより一層悪化してしまった<ref name="white">{{Cite web|url=http://www.whitehouse.gov/about/first-ladies/marthajefferson|title=Martha Wayles Skelton Jefferson|publisher=The White House|language=英語|accessdate=2014年4月12日}}</ref>。ジェファーソンとの間に生まれた6人の子供のうち、成人したのは2人だけだった<ref name="Ladies" /><ref name="Legacy" />。
*'''[[マーサ・ワシントン・ジェファーソン]]'''(1772-1836) 1836年) - 亡き母に代わり、実質的な[[アメリカ合衆国のファーストレディ|ファーストレディ]]を務めた。
*'''ジェーン・ランドルフ・ジェファーソン'''(1774-1775) 1775年)
*'''無名の息子'''(1777)(1777年) - 死産。
*'''{{仮リンク|メアリー・ジェファーソン・エップス|en|Mary Jefferson Eppes|label=メアリー・ジェファーソン}}'''(1778-1804) 1804年)
*'''ルーシー・エリザベス・ジェファーソン'''(1780-1781) 1781年)
*'''ルーシー・エリザベス・ジェファーソン'''(1782-1785) 1785年) - 上の姉と同名。
 
[[アメリカ独立宣言]]を起草するために[[フィラデルフィア]]で開催された{{仮リンク|第二次大陸会議|en|Second Continental Congress}}に出席していたジェファーソンはマーサの健康状態の悪化を心配し、少しでも早く夫人のところへ戻ろうとした。出世を望まず、政治活動も控えるようになっていった<ref name="Legacy" />。
*'''[[マーサ・ワシントン・ジェファーソン]]'''(1772-1836) - 亡き母に代わり、実質的な[[アメリカ合衆国のファーストレディ|ファーストレディ]]を務めた。
*'''ジェーン・ランドルフ・ジェファーソン'''(1774-1775)
*'''無名の息子'''(1777) - 死産。
*'''{{仮リンク|メアリー・ジェファーソン・エップス|en|Mary Jefferson Eppes|label=メアリー・ジェファーソン}}'''(1778-1804)
*'''ルーシー・エリザベス・ジェファーソン'''(1780-1781)
*'''ルーシー・エリザベス・ジェファーソン'''(1782-1785) - 上の姉と同名。
 
マーサは[[1782年]]5月に末娘のルーシーを産んだが、出産後の肥立ちが悪く、同年[[9月6日]]に亡くなった。33歳没。死の床にあった夫人の前でジェファーソンは「再婚は絶対にしない」と約束したと言われている<ref name="レディ71">{{Cite book|author=宇佐美滋|title=ファーストレディ物語|publisher=文藝春秋|page=71}}</ref>。
[[アメリカ独立宣言]]を起草するために[[フィラデルフィア]]で開催された{{仮リンク|第二次大陸会議|en|Second Continental Congress}}に出席していたジェファーソンはマーサの健康状態の悪化を心配し、少しでも早く夫人のところへ戻ろうとした。出世を望まず、政治活動も控えるようになっていった<ref name="Legacy" />。
 
ジェファーソンは非常に几帳面な性格で、自分が書いた手紙1万8千通のコピー、受け取った手紙2万5千通を残したが、なぜか夫人との手紙はすべて処分してしまった。そのために二2人のプライバシーは謎に包まれてしまったいるが、死の床での夫妻のやり取りについては知られている。死の床でマーサは夫が愛読した[[ローレンス・スターン]]の小説『[[トリストラム・シャンディ]]』の一節を書き写した。「時はあまりに早く移ろい、我がたどる文字はみな人生のいかに速やかに我がペンを追うかを告げる。その日時は強風の日の雲の如く、我らが頭上を吹き去りて二度と戻らず」その後をジェファーソンが引き取って書いた。「汝の手にする惜別の接吻、その後の別れは、すべてこれ来るべき永遠の別れの[[前奏曲|プレリュード]]」。ジェファーソンはマーサの一束の髪とこのノートを封筒に入れて保管した<ref name="レディ71" />。
マーサは[[1782年]]5月に末娘のルーシーを産んだが、出産後の肥立ちが悪く、同年[[9月6日]]に亡くなった。33歳没。死の床にあった夫人の前でジェファーソンは「再婚は絶対にしない」と約束したと言われている<ref name="レディ71">{{Cite book|author=宇佐美滋|title=ファーストレディ物語|publisher=文藝春秋|page=71}}</ref>。
 
ジェファーソンは非常に几帳面な性格で、自分が書いた手紙1万8千通のコピー、受け取った手紙2万5千通を残したが、なぜか夫人との手紙はすべて処分してしまった。そのために二人のプライバシーは謎に包まれてしまったが、死の床での夫妻のやり取りについては知られている。死の床でマーサは夫が愛読した[[ローレンス・スターン]]の小説『[[トリストラム・シャンディ]]』の一節を書き写した。「時はあまりに早く移ろい、我がたどる文字はみな人生のいかに速やかに我がペンを追うかを告げる。その日時は強風の日の雲の如く、我らが頭上を吹き去りて二度と戻らず」その後をジェファーソンが引き取って書いた。「汝の手にする惜別の接吻、その後の別れは、すべてこれ来るべき永遠の別れの[[前奏曲|プレリュード]]」。ジェファーソンはマーサの一束の髪とこのノートを封筒に入れて保管した<ref name="レディ71" />。
 
ジェファーソンは葬式の後、3週間は自分の部屋の中にこもり、その後も農園の周辺を行く先を決めずに馬に乗ってさまよっていた<ref name="Legacy" />。マーサが亡くなってから8週間が経過すると、彼女の健康状態が悪化してからは控えていた政治の世界に戻り、再び精力的に活動するようになった<ref name="レディ71" />。
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[アメリカ合衆国のファーストレディの一覧]]
 
== 外部リンク ==
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|video1=[http://firstladies.c-span.org/FirstLady/4/Martha-Jefferson.aspx Martha Jefferson<br />(C-SPANの公式動画。英語)]
}}
 
{{アメリカ合衆国のファーストレディ}}
 
{{DEFAULTSORT:しえふああそん まあさ}}
[[Category:アメリカ合衆国の大統領夫人]]
[[Category:トーマス・ジェファーソン]]
[[Category:イングランド系アメリカ人]]
[[Category:バージニア州の人物]]