「オーラヴ5世 (ノルウェー王)」の版間の差分

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[[第二次世界大戦]]中は父王とともにイギリスに亡命しつつ[[ナチス・ドイツ]]に抵抗し、ノルウェーの解放後に帰国した。1957年、父の死去により王位を継承した。即位した後はその誠実な性格から「国民の王」として庶民から愛された。オーラヴ5世は国王であるにもかかわらず自分で自動車を運転することを好み、自ら公道を運転してスキー場に向かう姿などが良く見かけられた。
 
しかし1973年の[[オイルショック]]の時、ノルウェー国民は特定の週末は運転禁止と定められてしまった。それらの週末でも王族は運転が可能であったものの、自らが国民の模範であるべきとの信念を持っていた王は、運転禁止期間中にスキー場に向かう時は普通の国民と同じようにスキーウェアを着用し、スキー板を自分の肩に担ぎ、公共鉄道を利用してスキー場に向かった。そういった時もオーラヴ5世は[[ボディーガード]]をつけないことで知られており、のち警護をつけないその理由をマスコミに問われた時「私には400万人のボディガード(当時のノルウェーの人口、すなわちノルウェー国民全員)がいたからね」と誇らしく答えた。
 
1968年、スキー界の発展に影響を及ぼした人物として[[ホルメンコーレン・メダル]]を受章した。