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=== 華北の統一と全盛期 ===
第3代皇帝として即位した苻堅は大秦天王と称した<ref name="民族大移動91">三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P91</ref>。苻堅は明敏で博学多才な人物であり、漢人宰相の[[王猛]]を重用して内政の充実を図り、初代からの方針である重商主義から重農主義に転換して豪商を抑え、長安や関中の感慨灌漑施設の復興や[[匈奴]]・[[鮮卑]]等の移民を展開して農業基盤を整備した<ref name="民族大移動91"/>。一方で官僚機構の整備、法制の制定に努めて中央集権化を図った<ref name="民族大移動91"/>。[[360年]]代半ばまで前秦は内政の充実や周辺諸国の外圧、さらに匈奴や羌の反乱や皇族間の内紛が相次いで勢力拡大は進まなかったが、[[368年]]までにこれらを全て片付けると対外政策に進んで外征を行ない、[[370年]][[11月]]に[[前燕]]を<ref name="河出中国95">山本『中国の歴史』、P95</ref>、[[371年]][[4月]]に前[[仇池]]を滅ぼして遼東・中原を獲得した<ref name="民族大移動92">三崎『五胡十六国、中国史上の民族大移動』、P92</ref>。[[376年]][[8月]]には[[前涼]]を滅ぼして[[涼州]]を平定し、さらに12月には[[代 (五胡十六国)|代]]を滅ぼした<ref name="河出中国95"/><ref name="民族大移動92"/>。これにより前秦は五胡十六国時代で唯一となる華北統一を達成した<ref name="中華の崩壊88">川本『中国の歴史、中華の崩壊と拡大、魏晋南北朝』、P88</ref><ref name="民族大移動92"/>。
 
この前秦の勢威に[[高句麗]]・[[新羅]]など[[朝鮮半島]]の諸王朝は朝貢して服属し、華北の社会は安定し、人口は2300万人に達して前秦は全盛期を迎えた<ref name="民族大移動92"/>。