「トヨタ・エスティマエミーナ」の版間の差分

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1992年1月発売。 当時の日本国内では、[[1991年]]6月に発売された[[日産・セレナ|日産・バネットセレナ]]が人気を博していた。当時で言う本家のエスティマは、先述の通り同車の対抗馬とするにはあまりにも大きすぎたため、全幅を狭めて5ナンバーサイズ枠に縮小(ただし、ガソリン車は排気量が2,400ccのため3ナンバー登録となる)し、また、差別化のためフロントグリルや[[テールランプ]]、内装も、本家とは若干違うデザインのものを採用した上で発売した。雑誌などでエスティマの幅を縮めたエミーナ、ルシーダと表現されているが、元々エスティマ開発当初から5ナンバー版のナローモデルは用意されていた。前述の日産バネットセレナの好調を見て、廉価グレードを増やし発売された。エスティマがシングルグレードであったのに対し、エミーナ/ルシーダは、ビニールシート仕様の廉価版「D」<ref>この廉価グレードは積載量は少ないが、安価であったため一部の建設業者で社用車及び貨物車として使用されることもあった</ref>から、エスティマと同様の豪華さの高級版「G」まで幅広いグレード体制とし、期型にはエスティマと同じ4独の足回りを持つスポーツグレード「S」も用意された<ref>4独は前期型「G」にも採用されていた。</ref>。[[トヨタ店]]と[[トヨタカローラ店|カローラ店]]の併売だった本家にあわせ、トヨタ店では「エスティマエミーナ」、カローラ店では「エスティマルシーダ」の呼称を用いていた。子エスティマの愛称がつき、本家のは親エスティマと呼ばれる。また、セレナに対抗するためパーツ(特に内外装系)も本家エスティマより安いものを使用するなど、徹底的なコストダウン策を打ち、本家との違いをアピールした。にもかかわらず、価格は、お世辞にも安いとは言えなかった。それでも旧来の[[キャブオーバー]]式の[[ワンボックスカー]]に違和感を感じていた層にとっては、スタイリッシュな子エスティマはヒットを記録することとなった。
 
競合車であるバネットセレナに対して同程度の値段に設定したこと、セレナより室内が広いことや旧来のワンボックス車にはなかったスタイリッシュな外観などがウリとなって、ピーク時にはルシーダが約1万2,000台、エミーナは約8,000台もの月間販売台数を記録して月間4,000台程度だったバネットセレナに大差をつけていた。しかし、巨額の開発費をかけた割に利益率は低く、なかなかモデルチェンジをさせてもらえず、さらに、[[1994年]]10月に[[ホンダ・オデッセイ]]が発売されると状況は一変し、販売台数は減少してしまい、この事を気にモデルライフ後半では、[[トヨタ・タウンエースノア|タウンエース]]/[[トヨタ・ライトエースノア|ライトエースノア]]に主力のバトンを明け渡すことになってしまう。