「チェロ協奏曲第1番 (サン=サーンス)」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
NyokiBot (会話 | 投稿記録)
m テンプレート統合によるパラメーターの変更 BOTREQによる
m improve
11行目:
 
== 概要 ==
この曲は壮年期の[[1872年]]に書き上げられた。前後してオペラ『[[サムソンとデリラ (オペラ)|サムソンとデリラ]]』、[[ピアノ協奏曲第4番 (サン=サーンス)|ピアノ協奏曲第4番]]、4曲の[[交響詩]]などの傑作が生まれている。[[1873年]][[1月19日]]、[[パリ国立高等音楽・舞踊学校|パリ音楽院]]にてオーギュスト・トルベック独奏により初演された。独奏者はパリ音楽院のチェロ教授であり、本作の被献呈者であされている。[[1902年]]に作曲された[[チェロ協奏曲第2番 (サン=サーンス)|第2番]]は、作曲家としての経験を一層積んだ老年期の作品であるが、第1番ほどの評価を得られず、今日ではほとんど演奏されない。単にサン=サーンスのチェロ協奏曲というと、もっぱら第1番のほうを指す。
 
チェロ協奏曲において全3楽章が切れ目なく演奏されるという手法は、既に[[ロベルト・シューマン|シューマン]]の[[チェロ協奏曲 (シューマン)|協奏曲]]で行われているが、サン=サーンスの場合はかなり徹底していて、全体が3つの部分からなる単一の楽章となって<!--おり、[[ヴァイオリン協奏曲_(メンデルスゾーン)|メンデルスゾーン]]や[[ヴァイオリン協奏曲第1番_(ブルッフ)|ブルッフ]]がヴァイオリン協奏曲で試みた前例に従って(これらは単一楽章ではない)-->いる。また各部の構成にも、伝統的な形式に縛られない創意を見ることができる。