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{{By|1999年}}から{{By|2001年}}まで中日の一軍内野守備・走塁コーチを務めた。{{By|2002年}}には古巣・日本ハムの一軍ヘッド兼内野守備・走塁コーチに就任、審判への暴力行為で出場停止となった監督の[[大島康徳]]の代わりに4月3日、4日のオリックス戦は監督代行務め(成績2勝0敗)、同年退団。{{By|2003年}}には大学の先輩[[山本功児]]が監督を務める[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]の一軍ヘッドコーチに就任したが山本の解任もあり1年限りで退団。{{By|2004年}}から{{By|2008年}}まで中日一軍野手総合チーフコーチを歴任。三塁ベースコーチとしての打球への判断がよく、中日が[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]のペナントを制した{{By|2006年}}は本塁での憤死をリーグ最小の1にとどめた。
 
{{By|2009年}}には[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック|第2回WBC]]の[[2009 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表]]の内野守備・走塁コーチに就任した。三塁ベースコーチを担当し、WBC日本代表の連覇に貢献した。また、議論の的になった[[亀井義行]]([[読売ジャイアンツ]])の代表入りを推薦した。WBC終了後、株式会社スーパーエージェントと[[マネジメント]]契約し[[東京中日スポーツ]]で[[野球評論家]]、古巣・東芝で臨時コーチを務めていた。
 
2009年10月、[[韓国野球委員会|韓国]]の[[ハンファ・イーグルス]]の臨時インストラクターに就任し、翌年は同球団で総合コーチを務めた<ref>{{Cite web|date=2010-01-17|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/01/17/24.html|title=侍ジャパン高代コーチ ハンファのコーチ就任|publisher=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]]|accessdate=2010-01-17}}</ref>。