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|血液型=
|所属チーム名=
|ポジション=[[ディフェンダー (サッカー)|DF (CB)]]
|背番号=
|利き足=右足
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|代表成績更新日=2014年9月9日
}}
'''フェフミ・アルパイ・オザラン'''('''Fehmi Alpay Özalan''', [[1973年]][[5月29日]] - )は、[[トルコ]]・[[イズミル]]出身の元[[サッカー|サッカー選手]]、元[[サッカートルコ代表|トルコ代表]]。現役時代のポジションは[[ディフェンダー (サッカー)|ディフェンダー(センターバック]]。
 
== 歴 ==
=== クラブ ===
==== 初期 ====
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==== アストン・ヴィラ ====
翌2000-01シーズンも引き続きフェネルバフチェへの期限付き移籍が決定したと報じられていた<ref>[http://hurarsiv.hurriyet.com.tr/goster/ShowNew.aspx?id=-158082 "Fener oh dedi"]</ref> ものの、[[ギリシャ・スーパーリーグ]] (ギリシャ1部) の[[オリンピアコスFC]]と交渉しており<ref name="移籍" />、最終的に7月20日に移籍金560万[[スターリング・ポンド|ポンド]]で[[プレミアリーグ]] (イングランド1部) の[[アストン・ヴィラFC]]と合意<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/a/aston_villa/843381.stm "Alpay the Villain"]</ref> し、28日に労働許可証が下りて正式に4年契約を締結した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/a/aston_villa/855742.stm "Alpay's green light"]</ref>。
 
2000年8月、昨季の中心選手の[[ウーゴ・エヒオグ]]を控えに追いやって先発を務めた[[レスター・シティFC]]との開幕戦では、相手FWの[[スタン・コリモア]] ([[:en:Stan Collymore|en]]) に仕事をさせずに高評価を得るパフォーマンスで無失点に貢献する上々の出だしを切る<ref>[http://www.thefreelibrary.com/Alpay+takes+first-act+plaudits%3B+Leicester+City+0+Aston+Villa+0.-a064418323 "Alpay takes first-act plaudits; Leicester City 0 Aston Villa 0"] thefreelibrary.com</ref> と、以来、共に守備を支える[[ガレス・サウスゲート]]や[[ガレス・バリー]]との強固な連携は、同リーグの[[アーセナルFC]]と[[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]から関心を寄せられるものだった<ref>[http://arama.hurriyet.com.tr/arsivnews.aspx?id=-522343 "Defender Alpay may leave Villa"]</ref>。翌[[FAプレミアリーグ2001-2002|2001-02シーズン]]は、8月の[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]戦において[[オウンゴール]]をした<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/default.aspx?pageid=438&n=alpays-own-goal-gives-man-u-draw-at-villa-2001-08-28 "Alpay's own goal gives Man U draw at Villa"]</ref> ようにミスを見せながらも、引き続き守備の要としてプレーし、新加入の[[オロフ・メルベリ]]とコンビを組んでチームを支えていた<ref name="ヴィラ" /> が、2001年12月に足首の靭帯を損傷した<ref>[http://www.thefreelibrary.com/FOOTBALL%3A+Villa+hit+by+Alpay+injury.-a080519215 "FOOTBALL: Villa hit by Alpay injury"] thefreelibrary.com</ref> ことで、シーズン最後の本拠地での試合となった[[サウサンプトンFC]]戦まで離脱していた<ref name="ヴィラ" />。
 
先の負傷の影響を感じさせない[[2002 FIFAワールドカップ]]での活躍から、[[FCバルセロナ]]や[[インテルナツィオナーレ・ミラノ]]といった欧州の強豪クラブに関心を寄せられ<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11677/2241801/inter-keep-tabs-on-alpay "Inter keep tabs on Alpay"]</ref><ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11677/2240654/alpay-hints-at-new-club-on-monday "Alpay hints at new club on Monday"]</ref>、自身も退団を望み、契約が2年残っていたにもかかわらず、開幕を前にした2002年8月11日に移籍志願書を提出した<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/teams/aston-villa/3032674/Turkeys-Alpay-wants-transfer-from-Villa.html "Turkey's Alpay wants transfer from Villa"]</ref>。しかし、許可を得られないどころか、[[グレアム・テイラー]] ([[:en:Graham Taylor|en]]) 監督から「このチームでプレーしたい選手だけが必要」と構想外を示唆される<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11677/2244103/taylor-fires-alpay-warning "Taylor fires Alpay warning"]</ref> と、実際に10月21日のサウサンプトン戦を最後に4ヶ月出番が訪れなかったように出場機会の多くを制限されており<ref>[http://www.theguardian.com/football/2003/feb/19/newsstory.sport1 "Alpay is frozen out again"]</ref>、その状況に同僚の[[ピーター・シュマイケル]]から[[タイムズ]]紙で「ワールドカップ後、彼がテイラーによって出場禁止となったことは悲しかった。実像とは違い守銭奴のように描かれていた」と擁護する発言をされる<ref>[http://www.timesonline.co.uk/tol/sport/football/article1124639.ece "Basturk is the class act for a nation with point to prove at the Stadium of Light"]</ref> も、状況が変化することはなかった。翌[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]序盤にようやくトップチームに呼び戻されると、シーズン最初の本拠地での試合[[チャールトン・アスレティックFC]]戦において、自チームのファンのブーイングを受けながらも得点を挙げたアルパイは、自身の口に指を当てるパフォーマンスをファンに対して示した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/3084352.stm "Villa edge past Charlton"]</ref>。しかし、その後、代表戦での[[デビッド・ベッカム]]に対する舌禍事件によって英国民の反発を招いたことで、チームの[[:en:Doug Ellis|ダグ・エリス]]会長から「最近の出来事によって、アルパイがアストン・ヴィラ、ひいては英国での生活が困難になった。そのため、両者にとって最善なのは2004年6月までの契約を即時解消することであり、彼も同意した」と解雇されたことが2003年10月23日に発覚した<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/2423875/Round-up-Villa-release-Alpay.html "Round-up: Villa release Alpay"]</ref>。
 
==== 後期 ====
自由契約選手となった自身に[[ヴェルダー・ブレーメン]]、[[ハンブルガーSV]]、[[ボルシア・メンヒェングラートバッハ]]、[[ヘルタ・ベルリン]]、[[ボローニャFC]]といった多くのクラブが関心を寄せていた<ref>[http://www1.skysports.com/football/news/11888/2280204/alpay-due-for-bologna-talks "Alpay due for Bologna talks"]</ref> ものの、欧州の移籍市場最終日が過ぎても所属先が決定せず、2004年1月29日に[[Kリーグクラシック|Kリーグ]] (韓国1部) の[[仁川ユナイテッドFC]]と2年契約で合意した<ref>[http://www.uefa.com/memberassociations/news/newsid=141057.html "Alpay heads for Asia"]</ref>。仁川入団会見では6ヵ月後には韓国語でインタビューしたいと意欲を見せたが、ラフプレーが目立ち、対峙した一人である[[エジミウソン・ジアス・デ・ルセナ]]はアルパイのタックルで引退に追いやられた<ref name="sports-g">[http://www.sports-g.com/2017/02/01/%EA%B9%80%ED%98%84%ED%9A%8C-%EC%9D%B4%EB%B3%84%EC%9D%B4-%EC%BF%A8%ED%95%98%EC%A7%80-%EB%AA%BB%ED%96%88%EB%8D%98-%EC%99%B8%EA%B5%AD%EC%9D%B8-%EC%84%A0%EC%88%98-top10 이별이 쿨하지 못했던 외국인 선수 TOP10] Sports-G (2017年2月1日){{Ko icon}}</ref>。さらに、チームメートへの中傷や練習の無断欠席、日本移籍が目標と公言する態度からも批判の的となった{{R|sports-g}}
 
仁川で満足いく生活を送っていたものの、昨年オフにも興味を示されていた[[J1リーグ|Jリーグ ディビジョン1]] (日本1部) の[[浦和レッドダイヤモンズ]]から条件の良いオファーが届いた<ref>[http://hurarsiv.hurriyet.com.tr/goster/haber.aspx?id=230465 "Alpay-İlhan karşı karşıya"]</ref> ことで、2004年6月2日に浦和と合意<ref>[https://web.archive.org/web/20040603113534/http://www.nikkansports.com/ns/soccer/p-sc-tp0-040603-0015.html "浦和がトルコ代表DFDF獲得へ"]</ref> し、それから数日後に正式に7月1日からの契約を締結したことが発表された<ref>[http://www.47news.jp/CN/200406/CN2004061001001128.html "浦和、アルパイの入団発表 W3位のトルコDFDF"]</ref>。仁川での同僚[[前園真聖]]や[[ヴィッセル神戸]]に在籍する同胞[[イルハン・マンスズ]]からリーグの情報を得て、チームを王者に導くと意気込んだ<ref>[http://web.archive.org/web/20040604153735/http://www.sponichi.co.jp/soccer/kiji/2004/06/04/08.html "来日・アルパユ「浦和を王者に」"]</ref> アルパイは、[[2004年のJリーグ|1年目]]こそ、[[田中マルクス闘莉王]]、[[ファビオ・カミーリョ・デ・ブリト|ネネ]]と共に強固な3バックを形成し、守備の要としてセカンドステージ制覇に貢献した<ref name="レッズ">[http://www.tokyo-sports.co.jp/blogwrighter-note/313/ "「荒くれ者」トルコ代表DFアルパイ・オザランが見せた意外な紳士ぶり"]</ref> が、[[2005年のJリーグ|2年目]]になると、[[鹿島アントラーズ]]との開幕戦において[[鈴木隆行]]への暴行で[[レッドカード]]による退場、1試合の出場停止明け後の[[大分トリニータ]]戦では1枚目の[[イエローカード]]に不満を示し、ピッチ横の給水ボトルを蹴り上げ2枚目のイエローカードを提示され、わずか3分で退場をする等、ピッチ外とは打って変わってピッチ内では荒々しい面を見せていた<ref name="レッズ" />。その後、2ヶ月近く出番が訪れない中、エースであった[[マルシオ・パッソス・ジ・アルブケルケ|エメルソン]]の退団で新外国人獲得を模索するチーム事情と、それに伴う外国人枠も影響して5月30日に契約解除が発表された<ref>[http://www.jsgoal.jp/official/urawa/00020852.html "アルパイ選手の契約解除について"]</ref> ことで、5月15日の[[横浜F・マリノス]]戦が浦和での最後の試合となった<ref name="レッズ" />。
 
2005年7月30日に[[サッカー・ブンデスリーガ (ドイツ)|ブンデスリーガ]] (ドイツ1部) の[[1.FCケルン]]と2年の延長オプション付きで1年契約を締結する<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/default.aspx?pageid=438&n=alpay-ozalan-set-to-join-koln-2005-07-30 "Alpay Ozalan set to join Koln"]</ref>。12月の[[ハンブルガーSV]]戦で相手の[[ギー・デメル]]に対して肘打ちをして4試合の出場停止になった<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/sportsline.aspx?pageID=438&n=sportsline-2005-12-08 "Alpay banned for four games"]</ref> ようにケルンでも浦和時代と同様に問題行動を起こしていた。更に2006年3月の[[1.FCニュルンベルク]]戦においては、低調なプレーに終始しており、コンビを組んでいた[[ボリス・ジヴコヴィッチ]] ([[:en:Boris Živković|en]]) と共に[[ペナルティーキック]]を与えて前半で[[ローベルト・ヴィッテク]]の[[ハットトリック]]を許す<ref>[http://www.mopo.de/news/fussball-nuernberg-gewinn-durch-vittek-hattrick-4-3-in-koeln,5066732,5675282.html "FußballNürnberg gewinn durch Vittek-Hattrick 4:3 in Köln"]</ref> 失態を犯して38分に交代させられると、試合終了を待たずに帰宅する問題児ぶりを見せた<ref>[http://www.rp-online.de/sport/fussball/alpay-und-zivkovic-muessen-zahlen-aid-1.1666994 "Alpay und Zivkovic müssen zahlen"]</ref>。そのため、ケルンでの最後の試合との見方をされ<ref>[http://www.bild.de/sport/2006/alpay-204054.bild.html "Alpay: Letztes Spiel in Köln?"]</ref>、また、チームも[[2. ブンデスリーガ (ドイツサッカー)|2部]]に降格したが、周囲の予想に反して延長オプションが行使され、2006-07シーズン以降も残留することとなった<ref>[http://www.ksta.de/fussball/bierhoff-will-einigung-bei-podolski,15189340,13658430.html "Bierhoff will Einigung bei Podolski"]</ref>。レギュラーとしてプレーする中、ベシクタシュで師事した[[クリストフ・ダウム]]監督が2006-07シーズン途中に就任したことに伴い、主将に任命される<ref>[http://www.blick.ch/sport/fussball/daums-revolution-in-koeln-id120828.html "Daums «Revolution» in Köln"]</ref> 等、充実したシーズンを送っていたが、2007年6月下旬の足首の負傷<ref>[http://www.todayszaman.com/sports_alpay-ozalan-undergoes-operation_115390.html "Alpay Özalan undergoes operation"]</ref> の影響から、翌2007-08シーズンは出場機会を得られずにいた。すると、[[メジャーリーグサッカー]]への移籍を熱望すると共にダウム監督を批判しており<ref>[http://www.kicker.de/news/fussball/2bundesliga/startseite/artikel/372162/ "Alpay suspendiert"]</ref>、この行動でトップチームから外され、[[オーバーリーガ]] (4部) のセカンドチームでのプレーを余儀なくされる<ref>[http://www.internetcologne.de/cms//artikel.php/132/39077/uebersicht.html/1536/30/uebersicht.html "1. FC Köln: Alpay spielt jetzt Oberliga"]</ref> 厳しい状況下に置かれたが、最終的に同2007-08シーズンの冬の移籍市場での退団をケルン側から許可された<ref>[http://www.kicker.de/news/fussball/2bundesliga/startseite/164844/artikel_Alpay-erhaelt-Freigabe.html "Alpay erhält Freigabe"]</ref>。だが、受け入れ先が見つかることはなかった。
 
現役引退後は、TFF3.リグのスィイルトスポルのディレクター職を務めていた<ref>[http://spor.milliyet.com.tr/jet-fadil--alpay-ile-br--birlikte-dondu/spor/spordetay/15.06.2009/1106851/default.htm "Fadıl Akgündüz ve Alpay'dan Siirtspor atağı..."]</ref>。
 
=== 代表 ===
[[サッカートルコ代表|トルコ代表]]としては、1995年2月15日の[[サッカールーマニア代表|ルーマニア]]戦で初出場<ref name="代表">[http://news.bbc.co.uk/2/hi/euro2000/teams/turkey/squad/746983.stm "Fehmi Alpay Ozalan"] [[BBCスポーツ|BBC Sport]]</ref>、同年6月の[[サッカーカナダ代表|カナダ]]戦で初得点を記録しており<ref name="代表" />、初出場を飾って以降、守備の要として起用され、[[UEFA EURO '96]]の[[サッカークロアチア代表|クロアチア]]戦において、ドリブル突破で自陣ゴール前に迫る相手MFの[[ゴラン・ブラオヴィッチ]] ([[:en:Goran Vlaović|en]]) に対して、故意のファウルで決定機を阻止しなかったことで[[欧州サッカー連盟|UEFA]]からフェアプレー賞を受賞した。しかし、ブラオヴィッチの得点が決勝点となってチームが敗退したことで、アルパイの対応は母国メディアから疑問が呈され、批判された<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/of-fair-play-and-treason.aspx?pageID=438&n=of-fair-play-and-treason-1996-06-18 "Of fair play and treason"]</ref>。[[UEFA EURO 2000]]では、初戦の[[サッカーイタリア代表|イタリア]]戦において何度も相手の攻撃を防ぐ中、[[フィリッポ・インザーギ]]のクロスショットを弾いた所を[[アントニオ・コンテ]]に[[キック (サッカー)|オーバーヘッドキック]]を決められて失点に関与する形となった<ref>[http://www.uefa.com/uefaeuro/season=2000/matches/round=1458/match=64852/postmatch/report/index.htm "Italy toil to spoil Turkey's opening day"]</ref> が、次の[[サッカースウェーデン代表|スウェーデン]]戦、[[サッカーベルギー代表|ベルギー]]戦を無失点に抑えてグループリーグ突破に貢献した。しかし、準々決勝の[[サッカーポルトガル代表|ポルトガル]]戦において報復行為で[[フェルナンド・コウト]]を殴ったことで前半30分に退場処分となってしまい、奇しくも2大会連続で敗退の要因となったアルパイは再びメディアから批判された<ref>[http://news.bbc.co.uk/2/hi/euro2000/teams/turkey/805409.stm "Turkish media blames Alpay"]</ref>。
 
[[2002 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]の[[サッカーマケドニア共和国代表|マケドニア]]戦で[[ハットトリック]]を達成する<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/default.aspx?pageid=438&n=alpay-single-handedly-saves-turkey-from-the-blues-2001-06-08 "Alpay single-handedly saves Turkey from the blues"]</ref> 等で攻守に渡ってチームを支え、出場を掴んだ自身初にして唯一の[[FIFAワールドカップ]]となった[[2002 FIFAワールドカップ]]では、グループリーグ初戦の[[サッカーブラジル代表|ブラジル]]戦で相手FW[[ルイス・カルロス・ボンボナート・グラール|ルイゾン]]を倒したことで[[ペナルティーキック]]を与えて決勝点を許す<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport3/worldcup2002/hi/matches_wallchart/brazil_v_turkey/default.stm "Brazil beat brave Turks"]</ref> 最悪の出だしとなったものの、出場停止が明けたベスト16から3位決定戦まで先発を務めてチーム史上最高となる3位入賞、特に復帰初戦の[[サッカー日本代表|日本]]戦では相手チームの波状攻撃を防ぎ、同試合の最優秀賞選手に選出される程に貢献<ref name="日韓大会" /> し、[[リュシュテュ・レチベル]]、[[ハサン・シャシュ]]と共にオールスターチームに選出された<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/default.aspx?pageid=438&n=rustu-alpay-hasan-in-fifa-all-star-team-2002-06-29 "Rustu, Alpay, Hasan in FIFA All-Star team"]</ref>。なお、ブラジル戦のPK判定は、試合後に主審が「ルイゾンのユニフォームを掴んだ時はペナルティーエリア外だった」と認めたことで大きな論争となり、またルイゾン自身も大げさに倒れてPKを誘ったと認めていた<ref>[http://www.47news.jp/smp/news/archive/200206/CN2002060601000249.html "PKの判定は「汚点」 韓国人主審の誤審論争"]</ref>。
 
その後、[[FIFAコンフェデレーションズカップ2003]]に出場したアルパイは、2003年10月の[[UEFA EURO 2004予選]]での[[サッカーイングランド代表|イングランド]]戦で相手の[[デビッド・ベッカム]]がPKを失敗した直後に挑発し、前半終了後も小競り合いを起こした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/england/3184276.stm "Beckham defies Turkey taunts"]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/2423907/Alpay-blames-Beckham.html "Alpay blames Beckham"]</ref> のを最後に代表から遠ざかっていたが、2005年9月3日に[[ファティ・テリム]]新監督によって[[2006 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選]]での[[サッカーデンマーク代表|デンマーク]]戦で代表に呼び戻された<ref>[http://www.hurriyetdailynews.com/default.aspx?pageid=438&n=terims-turkey-tackles-denmark-2005-09-03 "Terim's Turkey tackles Denmark"]</ref>。同大会プレーオフの[[サッカースイス代表|スイス]]戦で4-2で勝利したものの、4-4の[[アウェーゴール]]によって[[2006 FIFAワールドカップ]]出場を逃すと、試合終了後に控室へ戻るトンネル内で[[メフメト・オズディレキ]] ([[:en:Mehmet Özdilek|en]]) 助監督が相手の[[ヴァロン・ベーラミ]]に足を掛けたのを皮切りに発生した乱闘に参加し、後にクラブで同僚となる[[マルコ・シュトレラー]]を蹴った<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4449102.stm "Swiss star expects ban for kick"]</ref> として[[国際サッカー連盟|FIFA]]から6試合の代表試合出場停止と1万5000[[スイス・フラン]]の罰金の裁定を受け<ref>{{cite web|url=http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News200628_1866.html|title=トルコサッカーに大打撃:FIFAから厳しい裁定下る(Milliyet紙)|work=News from the Middle East 日本語で読む中東メディア|date=2006.2.8|accessdate=2014.12.1}}</ref><ref>[http://www.fifa.com/tournaments/archive/worldcup/germany2006/news/newsid=21240/index.html "Sanctions for incidents during Turkey v Switzerland pronounced final"]</ref> ており、同試合が代表最後の試合となった。
 
== 個人成績 ==