「シケリア戦争」の版間の差分

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====ドーリア人、シケリアで優勢となる====
ゲラの僭主であるクレアンデル([[:en:Cleander of Gela|en]]、在位[[紀元前505年]]-[[紀元前498年]])およびその弟のヒポクラテス([[:en:Hippocrates of Gela|en]]、在位[[紀元前498年]]-[[紀元前491年]])は、イオニア人およびドーリア人双方の領域を制し、紀元前490年までにザンクル(現在の[[メッシーナ]])、レオンティニ(現在の[[レンティーニ]])、カタナ(現在の[[カターニア]])、[[ナクソス (シチリア島)|ナクソス]](現在の[[ジャルディーニ=ナクソス]])はゲラの支配に下った。例外は[[カマリナ]]現在の[[:en:Kamarina,ラグーザ県]][[ヴィットーリア Sicily(イタリア)|enヴィットーリア]]のスコグリッティ地区)のみであった。ヒポクラテスの後継者となったゲロン([[:en:Gelo|en]])は、[[紀元前485年]]にシュラクサイ(現在の[[シラクサ]])を占領し、そこを首都とした。ゲロンは民族浄化、住民の国外追放、奴隷化を行い<ref>Freeman, Volume 2, pp. 130-31</ref>、占領したかつてのイオニア人の都市をドーリア人の都市とし、シケリアでの覇権を握った。他方、アクラガスはテロン([[:en:Theron of Acragas|en]]、在位[[紀元前488年]]-[[紀元前472年]])が僭主の時代に、シカニ人とシケル人の土地に進出した。アクラガスとシュラクサイの衝突を未然に防ぐため、テロンとゲロンは互いに婚姻関係を結び、シケル人とイオニア人殖民都市に対抗した。このため、シケリアにおける資源と人的資源の多くは、この二人の攻撃的な僭主に握られることなり、シケリアの他の勢力は脅かされることとなった。
 
====イオニア人、カルタゴに助けを求める====