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チャップマンの死亡事故以降も、幾つもの悲惨な事故が繰り返された。選手寿命を縮め、事故によって現役を引退した選手も存在した。
* [[アメリカ野球殿堂]]入りの名[[捕手]]、[[ミッキー・カクレーン]]は{{by|1937年}}5月25日に投球を右のこめかみ部分に受けて10日間意識不明に陥った後に復帰を諦め、そのまま現役を引退した<ref name="Examiner" />。カクレーンはその後も[[後遺症]]と言われる頭痛に絶えず悩まされ続けた<ref>{{Cite book|author=[[伊東一雄]]|title=[[メジャー・リーグ紳士録]]|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|page=90-91}}</ref>。
* [[ジョー・メドウィック]]は[[セントルイス・カージナルス]]から[[ロサンゼルス・ドジャース|ブルックリン・ドジャース]]に[[トレード#メジャーリーグ|トレード]]された6日後の{{by|1940年}}6月18日にカージナルスの[[ボブ・ボウマン]]投手の投球を頭部に受けてしまった。ボウマンは試合前にホテルでメドウィックや[[レオ・ドローチャー]](ドジャース[[プロ野球監督#MLB|監督]])と口論になっていたので、「ビーンボールでは無いか」と疑われた。当のボウマンはドジャースの[[チャック・ドレッセン]][[ベースコーチ|三塁コーチ]]の[[合図|サイン]]盗みによって起こった事故だと非難した。メドウィックが[[カーブ (球種)|カーブ]]だと決め付けて前方に踏み出したところに、ボーマンは代わりにインコース高めに[[速球]]を投げ込んだ<ref>{{Cite book|author=[[ブライアン・マッケンナ]]|url=http://books.google.co.jp/books?id=UyUNlDsfSaYC&pg=PA115&dq=joe+medwick+retired&hl=en&sa=X&ei=3D4bUqb7G4jg2gXf24GIDw&redir_esc=y#v=onepage&q=joe%20medwick%20retired&f=false|title=Early Exits: The Premature Endings of Baseball Careers|publisher=[[ロウマン&リトルフィールド|Scarecrow Press]]|page=115|language=英語|isbn=978-0810858589}}</ref>。[[脳震盪]]を起こしたが骨折はしておらず、5日か6日で退院して直ぐにチームに復帰したものの、この事故以後の彼の長打力は成りを潜めてしまった<ref>{{Cite web|url=http://sabr.org/bioproj/person/8fed3607|title=Joe Medwick|publisher=[[アメリカ野球学会|SABR.org]]|language=英語|accessdate=2014年3月18日}}</ref>。
* [[トニー・コニグリアロ]]は{{by|1967年}}8月18日に[[ジャック・ハミルトン]]投手の投球を左目の下に受けて頬骨を粉砕骨折し、[[網膜]]の損傷で失明の危機に陥った<ref>{{Cite web|url=http://sportsillustrated.cnn.com/vault/article/magazine/MAG1083748/1/index.htm|title=Return From The Dark|publisher=[[スポーツ・イラストレイテッド|Sports Illustrated]]|language=英語|accessdate=2014年1月22日}}</ref>。コニグリアロは{{by|1965年}}に[[アメリカンリーグ]]史上最年少の20歳で[[最多本塁打 (MLB)|本塁打王]]のタイトルを獲得。将来のアメリカ野球殿堂入りも有望視された選手だった<ref name="Examiner" />。[[Baseball-Reference.com]]にも掲載されている22歳時の[[類似性スコア]]では、[[ミッキー・マントル]]や[[フランク・ロビンソン]]との類似性が高く、順調であればこの2人に近い通算成績を残していただろうと推測されている<ref>{{Cite web|url=http://grantland.com/the-triangle/tony-conigliaro-ray-chapman-and-the-catastrophic-beaning/|title=Tony Conigliaro, Ray Chapman, and the Catastrophic Beaning|publisher=Grantland.com|language=英語|accessdate=2014年1月25日}}</ref>。{{by|1969年}}に[[カムバック賞 (MLB)|カムバック賞]]を受賞して復活し、{{by|1970年}}には自己最高の成績を残した。しかし、翌{{by|1971年}}から[[視覚障害者|視覚障害]]に苦しみ、若くして引退した。
* [[ディッキー・トーン]]は{{by|1984年}}4月8日に投球を左目に受けて[[眼窩#眼窩骨折|眼窩底骨折]]してシーズンを棒に振ってしまう。トーンは前年に[[MLBオールスターゲーム|オールスターゲーム]]に初選出され、[[シルバースラッガー賞]]も受賞していた。後遺症の奥行き知覚の障害を抱えたが、{{by|1988年}}に奇跡的に改善して復活した<ref>{{Cite web|url=http://si.com/vault/article/magazine/MAG1136985/1/index.htm|title=You Can't Keep A Good Man Down|publisher=Sports Illustrated|language=英語|accessdate=2014年1月25日}}</ref>。
* [[カービー・パケット]]は{{by|1995年}}9月28日に[[デニス・マルティネス]]投手の投球を頬に受けて顎を骨折してしまい、これが彼の現役最後の出場試合となってしまった<ref name="Examiner" />。
* [[アダム・グリーンバーグ (野球)|アダム・グリーンバーグ]]は{{by|2005年}}7月9日に[[代打]]出場でMLBデビューを飾ったが、その初[[打席]]の初球を後頭部に受けて退場。激しい頭痛や[[複視]]などの後遺症に悩まされたが、マイナーリーグや[[独立リーグ#北米の独立リーグ|北米独立リーグ]]で野球を続けた。グリーンバーグは{{by|2012年}}9月27日に[[マイアミ・マーリンズ]]と「1日契約」を結び、7年ぶりにMLBへの復帰を果たした<ref>{{Cite web|url=http://espn.go.com/mlb/story/_/id/8430448/7-years-later-miami-marlins-give-adam-greenberg-another-bat|title=Adam Greenberg to get 2nd chance|publisher=[[ESPN|ESPN.com]]|language=英語|accessdate=2014年1月25日}}</ref>。