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史料には「'''阿弖流爲'''」「'''阿弖利爲'''」とあり、それぞれ「あてるい」「あてりい」と読まれる。いずれが正しいか不明だが、現代では「アテルイ」と呼ばれる。坂上田村麻呂伝説に現れる[[悪路王]]をアテルイだとする説もある。本名は大墓公阿弖利爲(たものきみあてりい)<ref>伊藤博幸「エミシの世界」56ページ</ref><ref>[[細井計]]他著 [[山川出版社]] [[2002年]]</ref>。
 
本項ではアテルイと共に処刑された母礼(モレ(母礼)についても記載する。
 
__TOC__{{-}}
== 史料にみるアテルイ ==
アテルイは、史料で2回現れる。一つは、[[巣伏の戦い]]についての[[紀古佐美]]の詳細な報告で『[[続日本紀]]』にある。もう1つはアテルイの降伏に関する記述で、『[[日本紀略]]』にある。
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== 現代のアテルイ像 ==
=== 評価 ===
坂上田村麻呂が偉大な将軍として古代から中世にかけて様々な伝説を残したのに対し、アテルイはその後の文献に名を残さない。これに伴って、アテルイ伝説を探索あるいは創出する試みも出てきた。田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイと目する説があり、賛否両論がある
これに伴って、アテルイ伝説を探索あるいは創出する試みも出てきた。田村麻呂伝説に現れる悪路王をアテルイと目する説があり、賛否両論がある。
 
=== 石碑、顕彰など ===
上述の枚方市宇山にかつて存在した塚と、その近くの[[片埜神社]]の旧社地(現在は牧野公園内)に存在する塚を、それぞれアテルイとモレの胴塚・首塚とする説があり、[[1995年]](平成7年)頃から毎年、岩手県県人会などの主催でアテルイの慰霊祭が行われ、片埜神社がその祭祀をしている。但しこのうち「胴塚」については発掘の結果、アテルイの時代よりも200年近く古いものであることが判明している。また枚方市藤阪にある[[王仁]]博士のものとされている墓は、元は「オニ墓」と呼ばれていたものであり、実はアテルイの墓であるとする説もある。
 
田村麻呂が創建したと伝えられる京都の[[清水寺]]境内には、平安遷都1200年を期し[[1994年]](平成6年)[[11月]]に、「北天の雄 阿弖流為母禮之碑」と記された碑が建立されている<ref>{{Cite web|url=http://www.kiyomizudera.or.jp/info/s/info26.html |title=アテルイ・モレの碑 |accessdate=2017-02-19 |publisher=清水寺}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://aterui8.jp/hi.html |title=北天の雄 阿弖流為母禮之碑 |accessdate=2017-02-19 |publisher=アテルイを顕彰する会}}</ref>。牧野公園内の首塚にも、[[2007年]](平成19年)[[3月]]に「伝 阿弖流為 母禮 之塚」と記された石碑<ref>{{Cite web|url=https://www.city.hirakata.osaka.jp/site/citybrand-kyouikubunka/nadokoroya.html |title=由緒も古きなどころや |accessdate=2017-02-19 |date=2013-01-10 |publisher=枚方市}}</ref>が建立されている<ref>{{Cite web|url=http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/feature/CO004218/20130305-OYT8T00104.html |title=東北の思い 悪者が英雄へ |accessdate=2017-02-19 |date=2013-03-05 |publisher=[[読売新聞]]}}</ref>。[[2005年]](平成17年)には、アテルイの忌日に当たる[[9月17日]]に併せ、岩手県奥州市水沢区羽田町の羽黒山に「阿弖流為 母禮 慰霊碑」と記された石碑が建立されている。この慰霊碑は、アテルイやモレの魂を分霊の形で移し、故郷の土の中で安らかに眠ってもらうことを願い、地元での慰霊、顕彰の場として建立実行委員会によって、一般からの寄付により作られた。尚、慰霊碑には、浄財寄付者の名簿などと共に、[[2004年]](平成16年)秋に枚方の牧野公園内首塚での慰霊祭の際に奥州市水沢区の「アテルイを顕彰する会」によって採取された首塚の土が埋葬されている。<ref>{{Cite web|url=http://aterui8.jp/ireihi.html |title=阿弖流為 母禮 慰霊碑 |accessdate=2017-02-19 |publisher=アテルイを顕彰する会}}</ref>
田村麻呂が創建したと伝えられる京都の[[清水寺]]境内には、平安遷都1200年を記念して、[[1994年]](平成6年)[[11月]]に「アテルイ・モレ顕彰碑」が建立されている。牧野公園内の首塚にも、[[2007年]](平成19年)[[3月]]に「伝 阿弖流為・母禮之塚」の石碑が建立された。
 
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画像:Monument ofto Aterui inand HirakataMore2.jpegjpg|「北天の雄 阿弖流為母禮之塚」枚方市京都清水寺
画像:Monument to Aterui and More2More1.jpg|「北天の雄 阿弖流爲・礼の顕彰禮之(京都清水寺)」裏側
画像:Monument toof Aterui andin More1Hirakata.jpgjpeg|「伝 阿弖流爲・礼の顕彰禮 之塚」碑(裏側枚方市
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また、2001年のアテルイ没後1200年記念事業の一環で、[[東北本線]]の[[水沢駅]] - [[盛岡駅]]間で運行する朝間の[[快速列車]]1本に「アテルイ」という愛称が付けられた。{{要出典|date=2017年2月18日 (土) 19:02 (UTC)}}<!-- 虚偽とは思われないため除去は不要であると思います。インターネット上で検索しても信頼できる情報源は見付けられなかったため、鉄道関連書籍、「アテルイを顕彰する会」発行の「阿弖流為復権 〜アテルイ没後1200年顕彰事業関係報告集〜」などに当たる必要があると思われます。尚、出典を追加する際は、[[東北本線]]における同様の記述もこれを要するところです。 -->
[[2005年]](平成17年)には、アテルイの忌日に当たる[[9月17日]]に合わせ、岩手県奥州市水沢区羽田町の羽黒山に阿弖流爲・母礼慰霊碑が建立された。同慰霊碑は、アテルイやモレの魂を分霊の形で移し、故郷の土の中で安らかに眠ってもらうことを願い、地元での慰霊、顕彰の場として建立実行委員会によって、一般からの寄付により作られた。尚、慰霊碑には、浄財寄付者の名簿などと共に、[[2004年]](平成16年)秋に枚方の牧野公園内首塚での慰霊祭の際に、奥州市水沢区の「アテルイを顕彰する会」によって採取された首塚の土が埋葬されている。
 
=== モレ創作 ===
また、[[東日本旅客鉄道|JR東日本]]は、[[東北本線]]の[[水沢駅]] - [[盛岡駅]]間で運行している朝間の[[快速列車]]1本に、彼の名前を与えている。
[[1990年代]]から阿弖流為(アテルイを題材とした様々な創作活動が起こっている。
 
== モレ ==
'''モレ(母礼)'''(生年不詳 - 延暦21年旧8月13日(802年9月17日))とは、上記の'''アテルイ'''と同時期、同地方に伝えられている[[蝦夷]]の指導者の一人と見られている(『日本後紀』、『日本紀略』では'''''磐具公母礼''''')。アテルイと共に、[[河内国]]で処刑されたことが記されている。磐具公母礼(いわぐのきみもれ)。
 
== 阿弖流為を題材とした作品 ==
[[1990年代]]から阿弖流為(アテルイ)を題材とした様々な創作活動が起こっている。
 
* 小説
** 『陸奥甲冑記』 - [[澤田ふじ子]]著。[[1982年]]、第3回[[吉川英治文学新人賞]]を受賞。
** 『[[火怨]]』 - [[高橋克彦]]著。阿弖流為アテルイと坂上田村麻呂との戦いを、阿弖流為アテルイ・[[蝦夷]]の視点から描いている。[[2000年]]、[[吉川英治文学賞]]を受賞。
** 『[[炎立つ (小説)|炎立つ]]』 - 高橋克彦著。[[奥州藤原氏]]の興亡を描く作品で、冒頭で阿弖流為アテルイと坂上田村麻呂の因縁が描かれる。
** 『[[帝都幻談]]』 - [[荒俣宏]]著。
 
* 舞台
** 創作人間[[影絵]]劇『アテルイの涙』 - [[1992年]]当時、[[岩手県]]の小学校教師だった[[ジョヴァンニ安東]]が児童と共に制作・発表し、地元岩手で大きな反響を呼ぶ。
** [[ミュージカル]]『アテルイ-北の燿星』([[わらび座]]) - 原作は小説「火怨」。[[2004年]]「月刊ミュージカル」誌の作品部門で10位にランクイン。タキナ役の[[丸山有子]]は[[小田島雄志]]賞を受賞した。
**ミュージカル『阿弖流為―ATERUI―』([[宝塚歌劇団]][[星組]])- 原作は小説「火怨」。脚本・演出:[[大野拓史]]、主演:[[礼真琴]]。[[2017年]]夏に[[梅田芸術劇場#シアター・ドラマシティ|梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ]]、[[日本青年館]]にて上演予定<ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/13/kiji/20170113s00041000248000c.html |title= 宝塚 礼真琴主演で「阿弖流為」ミュージカル化、父は元日本代表浅野氏 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2017-01-13 |accessdate= 2017-01-13 }}</ref>。
** 『[[アテルイ (劇団☆新感線の舞台)|アテルイ]]』([[劇団☆新感線]]) - [[2002年]]に[[新橋演舞場]]で公演された。主演・[[市川染五郎 (7代目)|市川染五郎]]。[[2015年]]には『阿弖流為(あてるい)』の題で[[歌舞伎]]化された<ref>{{Cite news|url= http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1502367.html |title= 市川染五郎“歌舞伎NEXT”第1弾「阿弖流為」 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2015-07-15 |accessdate= 2017-01-13 }}</ref>。
** 『AKURO 悪路』(TSミュージカルファンデーション) - 初演[[2006年]]・再演[[2008年]]に公演された舞台。演出・振付:[[謝珠栄]]。悪路王をアテルイとして描いた作品。
 
* 漫画
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* アニメ
** 『[[アテルイ (アニメ映画)|アテルイ]]』 - 2002年、長編アニメーション。没後1200年を機に製作された。
 
* 舞台
** 創作人間[[影絵]]劇『アテルイの涙』 - [[1992年]]当時、[[岩手県]]の小学校教師だった[[ジョヴァンニ安東]]が児童と共に制作・発表し、地元岩手で大きな反響を呼ぶ。
** [[ミュージカル]]『アテルイ-北の燿星』([[わらび座]]) - 原作は小説「火怨」。[[2004年]]「月刊ミュージカル」誌の作品部門で10位にランクイン。タキナ役の[[丸山有子]]は[[小田島雄志]]賞を受賞した。
** ミュージカル『阿弖流為―ATERUI―』([[宝塚歌劇団]][[星組]])- 原作は小説「火怨」。脚本・演出:[[大野拓史]]、主演:[[礼真琴]]。[[2017年]]夏に[[梅田芸術劇場#シアター・ドラマシティ|梅田芸術劇場シアター・ドラマシティ]]、[[日本青年館]]にて上演予定<ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/01/13/kiji/20170113s00041000248000c.html |title= 宝塚 礼真琴主演で「阿弖流為」ミュージカル化、父は元日本代表浅野氏 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2017-01-13 |accessdate= 2017-01-13 }}</ref>。
** 『[[アテルイ (劇団☆新感線の舞台)|アテルイ]]』([[劇団☆新感線]]) - [[2002年]]に[[新橋演舞場]]で公演された。主演・[[市川染五郎 (7代目)|市川染五郎]]。[[2015年]]には『阿弖流為(あてるい)』の題で[[歌舞伎]]化された<ref>{{Cite news|url= http://www.nikkansports.com/entertainment/news/1502367.html |title= 市川染五郎“歌舞伎NEXT”第1弾「阿弖流為」 |newspaper= 日刊スポーツ |publisher= 日刊スポーツ新聞社 |date= 2015-07-15 |accessdate= 2017-01-13 }}</ref>。
** 『AKURO 悪路』(TSミュージカルファンデーション) - 初演[[2006年]]・再演[[2008年]]に公演された舞台。演出・振付:[[謝珠栄]]。悪路王をアテルイとして描いた作品。
 
* ドラマ
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* 音楽
** 『アテルイとモレの逆襲』- [[ソウル・フラワー・ユニオン]]のシングル「[[極東戦線異状なし!?]]」に収録。
 
== モレ ==
'''モレ(母礼)'''(生年不詳 - 延暦21年旧8月13日(802年9月17日))は、上記の'''アテルイ'''と同時期、同地方に伝えられている[[蝦夷]]の指導者の一人と見られている(『日本後紀』、『日本紀略』では'''''磐具公母礼''''')。アテルイと共に、[[河内国]]で処刑されたことが記されている。磐具公母礼(いわぐのきみもれ)。
 
== 脚注 ==
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* [[青木和夫]]・[[稲岡耕二]]・[[笹山晴生]]・[[白藤禮幸]]校注『[[続日本紀]]』五(新日本古典文学大系 10)、[[岩波書店]]、[[1998年]]。ISBN 4-00-240016-6
* [[黒板勝美]]『新訂増補国史大系[普及版] [[日本紀略]]』(第二)、[[吉川弘文館]]、[[1979年]]。ISBN 4-642-00062-3
*  鈴木 拓也『三十八年戦争と蝦夷政策の転換』 (東北の古代史④)吉川弘文館、2016年6月、ISBN978-4642064903
* [[新野直吉]]『古代東北の兵乱』、吉川弘文館、[[1989年]]。ISBN 4-642-06627-6
* 新野直吉『田村麻呂と阿弖流為』、吉川弘文館、[[1994年]]。ISBN 4-642-07425-2
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== 関連項目 ==
* [[蝦夷]]
* [[東北本線]] - 快速「アテルイ」列車がアテルイ没後1200年記念事業の一環で運行開始された。
* [[坂上田村麻呂]]
 
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Aterui}}
* [http://www.oshu-bunka.or.jp/maibun/index.htm 奥州市埋蔵文化財調査センター] {{ja icon}}
* [http://aterui8.jp/ アテルイを顕彰する会] {{ja icon}}
* {{ウェブアーカイブ |deadlink=yes |title=アテルイ没後1200年公式サイト |url=http://www.aterui.jp/{{リンク切れ|date=2017年2月 |archiveurl=1}} |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040919042106/http://www.aterui.jp/ |archiveservice=[[Wayback Machine]] |archivedate=2004-09-19}}
* [http://joshua007.web.fc2.com/mizusawaterui.htm 水沢アテルイ写真館] {{ja icon}} - [[ジョヴァンニ安東]]