「瀬戸山隆三」の版間の差分

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===千葉ロッテマリーンズフロント時代===
[[2004年]]に千葉ロッテマリーンズの球団代表に就任。スモールマーケットの福岡で苦労しながら身につけた経営手法は観客動員の伸び悩むロッテでは有効に働いた。チーム力はダイエーの球団代表を務め始めた当時とは比較にならないほど充実しており、[[2005年]]には31年ぶりの日本一に輝いた。[[2006年]]からは球団社長を兼任している。
ダイエー時代と違い、今やパ・リーグでもっとも長く球団を保有しているロッテはフロント間の対立要素も比較的少なく、一時期は選手会とフロントとの間で確執が見られた時期もあったが、[[ボビー・バレンタイン]]が監督に就任した2004年頃からは見られなくなり、{{独自研究範囲|瀬戸山としてはその実力を発揮しやすい環境である。|date=2014年12月}}しかし、バレンタインが退任した[[2009年]]には監督側との確執があったとされ、バレンタインが[[週刊朝日]]でロッテ球団を批判した<ref>10月30日号『千葉ロッテマリーンズ バレンタイン前監督が語る“解任”の真相「私のしたことを球団は全否定した」』</ref>他、[[古賀英彦]](元2軍監督で当時スコアラー)は情報収集の妨害などチーム成績を低迷させる裏工作が行われていたと主張している<ref>[[日刊ゲンダイ]]2010年3月11日号『ONからバレンタインまで気がつけば13球団50年』</ref>。また[[2009年]]は観客動員も昨年度より8.5%減となった<ref>[http://www.sanspo.com/baseball/news/091121/gsi0911211112002-n1.htm ロッテ・重光氏、「観客減みっともない」] サンケイスポーツ</ref>。[[2011年]]9月18日、今季限りでの辞任を発表<ref>[http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/09/18/kiji/K20110918001649180.html ロッテ瀬戸山球団社長 今季限り辞任を表明 石川本部長も]スポーツニッポン 2011年9月18日</ref>。その後、1年契約で、千葉ロッテの非常勤顧問に就任。2011年11月3日、千葉商科大学客員教授に就任。
 
===オリックス・バファローズフロント時代===
 
===球界再編問題===
ロッテの球団代表として球界に復帰した2004年の[[プロ野球再編問題 (2004年)|球界再編問題]]で、瀬戸山はダイエー球団代表時代の実績を買われ「プロ野球実行委員会ワーキンググループ」の選手関係委員長という重責を担った。{{独自研究範囲|オーナー側、選手側双方の実情を十分に理解している瀬戸山|date=2014年12月}}は、世論が[[日本プロ野球選手会|選手会]]側の主張を支持するのとは対照的にオーナー側の立場をぎりぎりまで主張し、冷徹な交渉に徹した。瀬戸山のあまりの冷徹な態度に、当時日本プロ野球選手会の会長であった[[古田敦也]]に9月9日の団体交渉終了後、握手を求めたところ、「握手はできません」と断られたことは小学生に真似されるほど有名になった。この他にも「日本プロ野球選手会を[[労働組合|労組]]と認めない」との発言などもあり、瀬戸山はまたも悪役としてその名を高めることになった。ちなみに瀬戸山個人としては球団拡大論者である。9月18・19日にプロ野球選手会は初の[[ストライキ]]に突入。世論の盛り上がりと古田ら選手会の尽力もあって9月23日に交渉は事実上妥結し、翌日[[宮城県]]をフランチャイズ([[プロ野球地域保護権|地域保護権]])とする新球団の加盟申請が行われ、同年[[11月2日]]のプロ野球オーナー会議を経て[[東北楽天ゴールデンイーグルス|楽天]]の参入が正式に承認され、現在に至っている。
 
== 脚注 ==
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