「森田実」の版間の差分

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現在の森田のスタンスは、経済においては「[[修正資本主義]]」に近く、政治・外交においては「平和主義」「{{要出典範囲|反米|date=2014年7月}}・対アジア協調」「[[日本国憲法第9条|9条]][[護憲]]」の立場を採る。日中友好論者でもあり、[[台湾独立運動|台湾独立]]・[[靖国神社問題|靖国神社公式参拝]]には反対している。政治評論家としては珍しく、時々の政治家・政党に対する支持・不支持を明確にしており、[[亀井静香]]や[[野中広務]]、[[綿貫民輔]]、[[鈴木宗男]]といった、小泉政権時の郵政民営化法案や対米依存政策における自民党内の「抵抗勢力」、[[河野洋平]]、[[加藤紘一]]、[[二階俊博]]、福田康夫ら[[親中派]]の支持者である。とりわけ、綿貫に対しては「日本一品格のある政治家」と最大限の賛辞を送っている。鈴木に対しても、かつては激しい批判を加えていたが、現在では評価に転じている。森田が最も評価していた政治家は、かつて小沢一郎の側近だった[[熊谷弘]]で、[[朝日ニュースター]]に出演した際には「真の改革者は熊谷さんだけ」と絶賛していた。
 
21世紀以降の政局では、[[郵政民営化]]に代表される[[新自由主義]]路線に反対の立場で、[[小泉純一郎|小泉]]政権への批判を展開していた。{{要出典範囲|[[公共事業]]は地方活性化のためには必要不可欠な「善」であると主張する。[[談合]]についても、日本の古き良き慣習であると肯定し、談合批判は[[アメリカ合衆国|米国]]の陰謀であると主張する。その小泉の後継者である[[安倍晋三]]に対する批判はさらにヒートアップしたもので、[[北朝鮮]]が[[2006年]]7月5日、[[北朝鮮によるミサイル発射実験 (2006年)|ミサイル発射実験]]を実施した際には、[[日朝平壌宣言]]に明確に違反した北朝鮮への批判は全くと言っていいほど行わず、ひたすら安倍(当時は官房長官)への批判に終始した。また、[[北朝鮮による日本人拉致問題]]についても、「対米従属助長のための陰謀」と断言している。そのような小泉・安倍政権批判への反作用として、以前は厳しく批判していた[[小沢一郎]]が[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]代表に就任すると、「『小沢一郎』入門」なる書物を書き下ろして大絶賛した。しかし、その小沢に対しても[[国際治安支援部隊|ISAF]]参加構想を発表した折には平和主義からの逸脱であるとして厳しく糾弾し、[[大連立構想 (日本 2007)|大連立騒動]]やそれを巡ると民主党代表辞任のゴタゴタを起こすに及んで激しく批判(ただし背景としてウェブサイト上で[[共和党 (アメリカ)|アメリカ共和党]]のエージェントによる小沢への圧力を指摘)。|date=2014年7月}} 以後は小沢民主党批判に転じ、2008年12月に出版された「政治大恐慌 悪夢の政権交代」([[ビジネス社]])では、小沢民主党のままの[[政権交代]]や大連立に警鐘を鳴らして明確に「脱小沢」を説くなど、{{独自研究範囲|政治家個人への評価ではおよそ一貫性とは無縁の論評を身上とすいてい|date=2014年7月}}
 
民主党による政権交代が実現した後も小沢に対する批判は続けており、[[2010年]]には[[陸山会]]の[[政治資金規正法]]違反事件を巡る疑惑に対して詳細な説明をしようとしない小沢に「やり方があまりにも姑息で、汚らしい」「独裁者が怖くて民主党議員も小沢を批判できない」などと断じている<ref>{{cite news|url=http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_ichiro_ozawa2__20100525_14/tory/25fujizak20100525003/|title=小沢、不起訴再決定で態度一変 政倫審「出ると言ってない」|publisher=[[夕刊フジ]]|date=2010-05-26|accessdate=2010-05-26}}</ref>。その一方で、[[2011年]][[9月26日]]に出された[[石川知裕]]ら3人への有罪判決については痛烈に批判している。
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近年は、予測に自身の希望が多分に反映されて、予測の大胆さが増す一方で、正確性は大きく低下している。特に自民党が勝利した際には、それが顕著である。代表的な例を挙げると、2000年の[[第42回衆議院議員総選挙]]の際は、「与党で過半数ギリギリがやっと。場合によっては政権交代もありえる」と断言したが、結果は、当時の[[森喜朗]]政権への批判が強かったとはいえ、与党は480議席中271議席で絶対安定多数を確保<ref>ただし自民党としては公示前に比べ38議席を失ったため、同党にとっては厳しい結果であったと言える。</ref>。[[2001年]]4月、その森政権崩壊に伴う[[自由民主党総裁選挙]]の際は、再登板を目指した[[橋本龍太郎]]の圧勝を断言したが、総裁選の結果は小泉の圧勝であった(ただし、当時は[[平成研究会|橋本派]]が自民党最大派閥で、内外のメディアも橋本勝利を予想するのが一般的であり、森田の予想はそれほど特異なものではなかった)。
 
{{独自研究範囲|小泉政権以降、森田の政治評論は政権批判の度合いを強めていく。選挙・政局予測は自らの願望と渾然一体となり、自民党ないし小泉政権の退潮を主張し続けたが、結果的にはことごとく外れている。
|date=2014年7月}}
 
2003年9月の[[自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]の際は、「小泉再選は100%ない」と断言したが、[[青木幹雄]]など参院橋本派の支持を得て再選された。更に総裁選の終盤で[[野中広務]]が突如引退を覚悟で小泉再選を阻止すると表明した際は、『[[スーパーJチャンネル]]』で「これで流れが変わる」と断言するが、小泉圧勝という情勢を崩すには至らず、野中の政治的影響力の弱体化を逆に印象付けた。2005年9月の[[第44回衆議院議員総選挙|郵政選挙]]の際は自民党は惨敗して120まで議席を落とすと予測し、郵政造反組が選挙後の[[キャスティング・ボート]]を握ると断言した上、小泉の[[小選挙区]]での落選すら主張したが、結果は自民が296議席を獲得し、小泉自身も1996年以降の衆院選小選挙区制では最高得票数を獲得し当選している。
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[[第21回参議院議員通常選挙|2007年の参院選]]では自民党は大敗をし、[[第1次安倍内閣|安倍内閣]]は総辞職をすると予想。自民党の大敗は的中したが、安倍は総辞職せずに[[内閣改造]]を行って政権担当を続行した。
 
{{独自研究範囲|こうしたことから、選挙の[[福岡政行]]、軍事の[[田岡俊次]]、経済の[[紺谷典子]]、相場の[[北浜流一郎]]とともに、巨大掲示板を中心にネット上では予想がはずれると指摘されている。|date=2014年7月}}
 
しかし、すでに民主党政権批判に転じていた[[第22回参議院議員通常選挙|2010年の参院選]]では、[[鳩山由紀夫]]の首相辞任と[[菅直人]]後継確定を受けて、民主党の惨敗(党首交代前より悪化)を予測。その後、マスコミ各社の[[世論調査]]で民主党支持率の急回復や菅内閣の高支持率が発表された後も、この見方を一切変えず、6月17日付ホームページでは「全国民に訴えたい。菅民主党は[[間接民主制|議会制民主主義]]の破壊者だ。[[ファシズム|ファッショ]]政党の菅民主党との戦いに起ち上がりましょう」と記している。選挙戦では菅総理大臣の消費税引き上げ発言などもあって民主党が徐々に追い込まれ、過半数割れの大惨敗を喫した。願望と予測が一体となって実現した久々の選挙となり、政治評論家の面目躍如となった。