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[[紀元前5世紀]]から[[紀元前6世紀|6世紀]]ごろには[[バビロン]]や中国で[[石橋|石造]]の[[桁橋]]が架けられていた。紀元前4000年ごろの[[メソポタミア|メソポタミア文明]]では石造[[アーチ橋]]が架けられている。紀元前2200年ごろ、バビロンでは[[ユーフラテス川]]に長さ 200 [[メートル|m]] のレンガ橋が架けられた。アーチ橋の架橋技術は、古代メソポタミア地方で発祥した技術が、東西に伝播して西洋と東洋それぞれ独自に発展したとする研究が<!--元工学博士の武部健一により-->発表されている{{sfn|武部健一|2015|p=9|ps=、武部「アーチは東漸したか」『第九回日本土木史研究発表会論文集』より孫引き。}}。
 
[[古代ローマ|ローマ時代]]に道路網の整備に伴い各地に橋が架けられ、架橋技術は大きく進歩した。現存する水道橋は驚異的な精度を持っている。ローマ教皇は英語で「ポープ」と呼ばれるが、この「Pope」の正式名称である「最高司教:Pontifex maximus」の前半部は「橋:Ponti」と「つくる:fex」から成り立っている。この名前が示すように、古代ローマ時代には橋を架けることは聖職者の仕事であった。中国や日本でも橋は仏教僧侶が架けることが多かった<ref name = "橋 HASHI">大野春雄監修『橋 HASHI なぜなぜ読本』山海堂 2000年5月20日 第1版第3刷発行</ref>。
 
日本での記録に残っている最古の橋は、『[[日本書紀]]』によると[[景行天皇]]の時代に現在の[[大牟田市]]にあった御木のさ小橋(みきのさおはし)である。巨大な倒木による丸木橋とされている。人工の橋では同じく『日本書紀』によると324年([[仁徳天皇]]14年)に現在の大阪市に[[猪甘津橋]](いかいつのはし)が架けられたのが最古とされている{{sfn|武部健一|2015|p=25}}{{sfn|浅井建爾|2001|p=212}}。また、624年に[[道昭]]が京都の宇治川に[[宇治橋 (宇治市)|宇治橋]]を、726年には[[行基]]が[[山崎橋]]を架けるなど、古くは僧侶が橋を架けたことが知られている{{sfn|浅井建爾|2001|p=212}}。これは僧侶が[[遣隋使]]や[[遣唐使]]として中国に渡り技術を学んできたことや、救済の一環として土木事業を指導したことによる。一方、当時の[[律令政府]]は[[勢多橋]]などの[[畿内]]の要所を例外とすれば、橋の築造には消極的であった。『[[日本紀略]]』の[[延暦]]20年5月甲戌条には、河川に橋がないことで[[庸]]の搬送が困難な場合には、そのたびに[[舟橋]]を架けるように命じている。