「西村小楽天」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
経歴・出典・参考文献等の加筆
1行目:
{{ActorActress
'''西村 小楽天'''(にしむら こらくてん、[[1902年]] - [[1983年]][[2月25日]]、本名:田川実)は[[日本]]の[[弁士]]、[[漫談家]]、[[歌手]]の[[司会者]]。
| 芸名 = 西村 小楽天
| ふりがな = にしむら こらくてん
| 画像ファイル =
| 画像サイズ =
| 画像コメント =
| 本名 = 田川 実
| 別名義 =
| 出生地 = {{JPN}} [[東京府]][[東京市]][[深川区]]<br />(現在の[[東京都]][[江東区]])
| 死没地 = {{JPN}} 東京都[[杉並区]]
| 国籍 =
| 民族 =
| 身長 =
| 血液型 =
| 生年 = 1902
| 生月 = 12
| 生日 = 4
| 没年 = 1983
| 没月 = 2
| 没日 = 25
| 職業 = [[活動弁士]]、[[漫談家]]、[[司会者]]
| ジャンル = [[サイレント映画]]
| 活動期間 =
| 活動内容 =
| 配偶者 =
| 著名な家族 =
| 事務所 =
| 公式サイト =
| 主な作品 = <!--皆が認める代表作品を入力-->
| アカデミー賞 =
| 日本アカデミー賞 =
| その他の賞 =
| 備考 =
}}
'''西村 小楽天'''(にしむら こらくてん、[[1902年]][[12月4日]] - [[1983年]][[2月25日]]、本名:田川実)は[[日本]]の[[弁士]]、[[漫談家]]、[[歌手]]の[[司会者]]。本名は'''田川実'''(たがわ みのる)
 
==経歴==
[[東京府]][[深川区]](現・[[東京都]][[江東区]])生まれ。本人によると、実家は[[洲崎 (東京都)|洲崎]][[遊郭]]の引手茶屋だったという{{Sfn|西村小楽天|1978年|p=9}}。
[[東京府]](現:[[東京都]])生まれ。子供の頃に活動弁士の[[西村楽天]]に入門。浅草帝国館で初舞台。浅草を中心に各地で活躍。[[トーキー]]化になってからは漫談家を経て歌手の司会者に転じる。
 
子どもの頃から[[活動写真]]に親しみ、[[大正]]5年([[1916年]])に活動弁士の[[西村楽天]]へ入門{{Refnest|group="注釈"|[[東京第二師範学校|東京府豊島師範学校]]に在学していたが、弟子入り後に中退している{{Sfn|西村小楽天|1978年|p=22}}。}}。同7年([[1918年]])には巡業先の[[台湾]]で師から「小楽天」の名を認められる{{Sfn|佐藤忠男|2001年|p=144}}。東京へ戻ってからは浅草の[[帝国館]]で弁士を務める{{Sfn|無声映画鑑賞会|2001年|p=144}}。その後は、浅草を中心に東京各地の[[松竹]]系映画館で、主に洋画の説明に活躍した。
[[美空ひばり]]、[[岡晴夫]]、[[東海林太郎]]の専属司会者として活躍。
 
映画が[[トーキー]]の時代を迎えた[[昭和]]10年([[1935年]])には、弁士・楽士の全員解雇を通知する松竹側に対し、[[静田錦波]]{{Refnest|group="注釈"|争議委員長として会社側と交渉にあたっていた。}}らとともに[[3月19日]]から[[3月28日|28日]]にかけて[[ストライキ]]を実行している<ref>「松竹争議団遂に総罷業に入る 会社はトーキーで対抗」、[[読売新聞]]1935年3月20日付夕刊(19日発行)、2頁</ref>{{Refnest|group="注釈"|28日の交渉で、退職手当などについて労使双方が合意に達し、ストは終結<ref>「松竹争議 円満解決」、読売新聞1935年3月29日付朝刊、7頁</ref>。松竹に在籍する弁士・楽士の全員解雇はそのまま実施されることとなり、結果的には会社側の勝利で終わった。}}。
長男が[[西村浩二]]。[[玉置宏]]にも影響を与えた。
 
一時は漫談家となったが間もなく歌手の司会者に転じ、[[東海林太郎]]や[[霧島昇]]の司会を担当した。戦後は[[岡晴夫]]や[[美空ひばり]]の専属司会を務める一方、無声映画の鑑賞会などで弁士として出演している。
 
昭和58年(1983年)2月25日、[[心筋梗塞]]のため東京都杉並区の病院で死去{{Sfn|無声映画鑑賞会|2001年|p=144}}<ref>読売新聞1983年2月27日付朝刊(東京本社版)、23頁</ref>。満80歳没。
 
長男の[[西村浩二 (東京都)|西村浩二]]([[1930年]]-[[1991年]])も司会者となり、日本司会芸能協会理事長を務めた<ref>[[毎日新聞]]1991年12月10日付朝刊(東京本社版)、27頁</ref><ref>読売新聞1991年12月10日付朝刊(東京本社版)、31頁</ref>。<!--[[玉置宏]]にも影響を与えた。-->
 
== 著書 ==
* {{Cite book|和書|editor= |author=|year=1978|chapter=|title=私は昭和の語り職人|publisher=エイプリル・ミュージック|isbn=|ref={{Harvid|西村小楽天|1978年}}}}
 
== 注釈 ==
<references group="注釈"/>
 
== 出典 ==
<references/>
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book|和書|editor= 無声映画鑑賞会編・[[マツダ映画社]]監修|author=|year=2001|chapter=|title=活動弁士 無声映画と珠玉の話芸|publisher=アーバン・コネクションズ|isbn=4900849502 |ref={{Harvid|無声映画鑑賞会|2001年}}}}
* {{Cite book|和書|editor=佐藤忠男編|author=|year=2007|chapter=|title=日本の映画人 日本映画の創造者たち|publisher=[[日外アソシエーツ]] , [[紀伊國屋書店]](発売)|isbn=9784816920356 |ref={{Harvid|佐藤忠男|2007年}}}}
 
{{DEFAULTSORT:にしむら こらくてん}}