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{{Infobox Musician <!--Wikipedia:ウィキプロジェクト 音楽家を参照-->
| Name = マレー・ヘッド<br>Murray Head
| Img = Photo - Festival de Cornouaille 2013 - Murray Head en concert le 28 juillet - 026.jpg
| Img_capt = [[カンペール]]で演奏するマレー・ヘッド(2013年)
| Img_size = <!-- サイズが250ピクセルに満たない場合のみ記入 -->
| Landscape = <!-- 画像の横幅が広く、高さが小さい場合に“yes”を記入 -->
| Background = singersolo_singer
| Birth_name = Murray Seafield Saint-George Head
| Alias =
| Blood = <!-- 個人のみ -->
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| Born = {{生年月日と年齢|1946|3|5}}
| Died =
| Origin = {{UK}} [[ロンドン]]
| Instrument = [[ボーカル]]、[[ギター]]
| Genre = [[ロック]]、[[ニュー・ウェーヴ (音楽)|ニュー・ウェーヴ]]
| Occupation = [[俳優]]、[[歌手]]
| Years_active = 1966年 -
| Label = [[アイランド・レコード|アイランド]]、[[A&Mレコード|A&M]]、[[ヴァージン・レコード|ヴァージン]]、[[マーキュリー・レコード|マーキュリー]]、ヴォイスプリント
| Label =
| Production =
| Associated_acts =
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| Notable_instruments =
}}
'''マレー・ヘッド'''(Murray Head)は、[[英国]]の[[俳優]]、[[歌手]]。[[ロックミュージカル]]『[[ジーザス・クライスト・スーパースター]]』のナンバーでシングルカットされた「スーパースター」、元[[ABBA]]のメンバーらによる作曲の「[[ワン・ナイト・イン・バンコク]]」等の楽曲で知られる。
'''マレー・ヘッド'''(Murray Head)は、[[英国]]の[[歌手]]。
 
== プロフィール ==
ヘッドは子どもの頃から作曲を始め1960年代半ばからロンドンでレコーディング契約を得た。[[ティム・ライス]]と[[アンドリュー・ロイド・ウェバー]]による『ジーザス・クライスト・スーパースター』のアルバム・バージョンで[[イスカリオテのユダ]]を演ずるよう頼まれるまで、[[ウエスト・エンド (ロンドン)|ウエスト・エンド]]でのミュージカル『[[ヘアー (ミュージカル)|ヘアー]]』への参加等で限定的に成功していただけだった。トリニダード・シンガーズと共に歌われた「スーパースター」は、1971年に[[Billboard Hot 100]]で最高位14位まで達した。
元[[ABBA]]のメンバーらによる作曲のワン・ナイト・イン・バンコクで知られる。
 
[[ヘイリー・ミルズ]]、ハイウェル・ベネット、[[ジョン・ミルズ]]を主要な配役に据えたコメディ・ドラマ「The Family Way」(1966年)でヘッドは俳優としてフィルム・デビューした。また、[[第44回アカデミー賞]]に多部門ノミネートされた映画『[[日曜日は別れの時]]』(1971年)では主要な役を得た([[ピーター・フィンチ]]、[[グレンダ・ジャクソン]]共演)。これらの作品の大当たりにもかかわらず、その後10年にわたりほとんど衆目を受けることがなかった(例外的なのはシングル「Say It Ain't So, Joe」を1975年に発表したことだ。この曲はその後、[[ザ・フー]]のリード・ヴォーカリストである[[ロジャー・ダルトリー]]に[[カバー]]された)。
 
1973年、[[ラジオドラマ]]「The Fourth Tower of Inverness」に参加。1979年には「Prince Regent」「Return of the Saint」といったテレビドラマに出演。
 
ヘッドが再びスポットライトを浴びることとなったのは、1984年のミュージカル『[[チェス (ミュージカル)|チェス]]』のためのアメリカ人になりきった[[コンセプト・アルバム]]だった。ヘッドのボーカルをフィーチャーした曲「ワン・ナイト・イン・バンコク」は[[ニューヨーク]]・アクセントで歌われた。1996年に[[ボーイゾーン]]の「No Matter What」(ミュージカル『Whistle Down the Wind』の楽曲)が登場するまで、アメリカとドイツのラジオにおけるヒットとしては、ブロードウェー/ウエスト・エンド・ナンバー(ミュージカル曲)として長いこと最後のものとされてきた。この曲はヨーロッパでも北米でも好評であった。ヘッドは、1986年5月14日に初公開された『チェス』のロンドン・ウエスト・エンド公演で、世界チェス・チャンピオンのフレデリック”フレディー”トゥルンパの役を演じた。この公演は、ヘッドが声の問題で離脱した後も続き、1989年4月8日まで上演された。
 
==アルバム==
===スタジオ・アルバム===
*1972年 – ''Nigel Lived''
*1975年 – ''Say It Ain't So''
*1979年 – ''Between Us''
*1981年 – ''Voices''
*1981年 - ''How many ways''
*1983年 – ''Shade''
*1984年 – ''Restless''
*1987年 – ''Sooner or Later''
*1992年 – ''Wave''
*1993年 – ''Innocence''
*1995年 – ''Pipe Dreams''
*2002年 – ''Passion''
*2007年 – ''Tête à Tête''
*2008年 – ''Rien n'est écrit''
*2012年 – ''My Back Pages''
 
=== ライブ・アルバム ===
*1981年 – ''Find the Crowd''
*2009年 - ''Live Collection Vol 1''
*2010年 - ''Live Collection Vol 2''
 
=== コンピレーション ===
*1990年 – ''Watching Ourselves Go By''
*1995年 – ''When You're in Love''
*1995年 – ''Greatest Hits''
*2006年 – ''Emotions, My Favourite Songs''
*2016年 – ''Scrapbook''
 
==シングル==
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==関連項目==
* [[ビョルン・ウルヴァース]] - 「ワン・ナイト・イン・バンコク」作曲、元[[ABBA]]
* [[ベニー・アンダーソン]] - 「ワン・ナイト・イン・バンコク」作曲、元[[ABBA]]
*[[ティム・ライス]] - 作詞
*[[バンコク]]
 
==外部リンク==