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==東沃沮==
『三国志』東沃沮伝によれば、始め[[衛氏朝鮮]]に帰属していたが、漢の[[武帝 (漢)|武帝]]により[[漢四郡]]([[楽浪郡]]・[[真番郡]]・[[臨屯郡]]・[[玄菟郡]])が置かれた際に、[[沃沮城]](夫租城)を玄菟郡の県にした。以来、沃沮(夫租)は玄菟郡の支配下に入り、後に玄菟郡の縮小に伴って夫租県が[[楽浪郡]]に転属すると、沃沮(夫租)は楽浪郡に帰属することとなった。後、[[3世紀]]の頃には高句麗に臣従していた。[[魏 (三国)|魏]]の[[カン丘倹|毌丘倹]]が高句麗に攻め入った際には、高句麗王の
後に「[[靺鞨|白山靺鞨]]」となり、[[渤海国]]が建国されてからは渤海人の一部となった。
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『[[三国志]]』東夷伝東沃沮の条に、日本人([[倭人]])とみられる記述がある。
[[王頎]]が毌丘倹の命令で[[高句麗]]王
==言語系統==
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