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{{Distinguish|ボストン・オペラ・カンパニー}}
[[File:BF Keith Memorial Theatre, Boston interior.JPG|300px|thumb|1980年から1990年、ボストン・オペラ・ハウス
{{Portal|クラシック音楽}}
'''オペラ・カンパニー・オブ・ボストン'''
一時期、ツアー公演部門は'''オペラ・ニューイングランド''' (Opera New England) と呼ばれていた。30年以上にわたり、コールドウェルはほとんどのプロダクションで演出と指揮者を兼任していた。コールドウェルのもと、幅広い時代やスタイルの多くのアメリカ初演作品やコンテンポラリー・オペラを含むオペラ75作品を[[レパートリー・シアター|レパートリー]]としていた<ref name="Boston">{{cite news | url=http://www.boston.com/news/local/articles/2006/03/25/sarah_caldwell_impresario_of_boston_opera_dead_at_82/| title=Sarah Caldwell, impresario of Boston opera, dead at 82 | work=The Boston Globe | author=Richard Dyer| date=March 25, 2006 | accessdate=May 9, 2009}}</ref>。
斬新なレパートリーとコールドウェルの演出により世界的に称賛され、1970年代から1980年代
== 歴史 ==
{{See also|en:Opera Company of Boston productions}}
=== 起源 ===
1958年、サラ・コールドウェルとリンダ・キャボット・ブラックらは5千ドルでオペラ・カンパニー・オブ・ボストンを創立し、[[ジャック・オッフェンバック]]の『{{仮リンク|月世界旅行 (オペラ)|label=月世界旅行|en|Le voyage dans la lune}}』を[[ボストンコモン]]にてアデレイド・ビショップ主演で上演した<ref>{{cite news|url=http://www.nytimes.com/1989/01/29/style/linda-black-is-married.html?src=pm|title=Linda Black Is Married|work=The New York Times|accessdate=July 30, 2011|date=January 29, 1989}}</ref>。『[[ボストン・グローブ]]』紙は優れたプロダクションと称賛し、[[ドワイト・D・アイゼンハワー]][[アメリカ合衆国大統領|大統領]]の招聘により[[ホワイトハウス]]の庭で上演することになった。上演成功後、コールドウェルは[[ジャコモ・プッチーニ]]の『[[ラ・ボエーム (プッチーニ)|ラ・ボエーム]]』を上演することを決めた<ref name="Boston" />。
=== 1958年–1979年 ===
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=== 1980年–1990年 ===
カンパニーにとってオーフィアム・シアターはちょうど
=== レガシー ===
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同様に多くの著名人がスタッフあるいは美術などで参加していた。約6年間、ラルフ・ライフォードは副指揮を務め<ref name ="PBS">{{cite web|url=http://www.pbs.org/wnet/dancin/php/details.php?id=734|title=Who's Dancing Now|accessdate=9 October 2016}}</ref>、[[ケント・ナガノ]]はこのカンパニーで指揮者としてのキャリアを開始した。1967年から1986年、ラスロ・J・ボニスが代表を務め、ダー・ウイリアムズが舞台監督を務めた。ルドルフ・ハインリヒ、ミン・チョウ・リー、ハーバート・シン、ヘレン・ポンド、ギルバート・ヴォーン・ヘムスレフ・ジュニア、デイヴィッド・シャイアなど多くの重要なデザイナーたちが在籍していた。バレエ・ダンサーのパット・コルゲイトが何度も出演していた。演出補佐のエスカイア・ジョウケムはコールドウェルの手助けを得てボストン・レパートリー・シアターを創立し、プロデュース、演出を行なうほか、オペラ、舞台作品、テレビ作品の創作も行なった。
32年間の活動の中で、カンパニーは斬新な演目で世界的に称賛を得た。コールドウェルのもと、カンパニーは[[アルノルト・シェーンベルク]]の『[[モーゼとアロン]]』、[[セルゲイ・プロコフィエフ]]の『{{仮リンク|戦争と平和 (オペラ)|label=戦争と平和|en|War and Peace (opera)}}』、[[エクトル・ベルリオーズ]]の『[[トロイアの人々]]』および『[[ベンヴェヌート・チェッリーニ (オペラ)|ベンヴェヌート・チェッリーニ]]』、[[ルイジ・ノーノ]]の『{{仮リンク|不寛容1960|en|Intolleranza 1960}}』、[[アルバン・ベルク]]の『[[ルル (オペラ)|ルル]]』、[[ロジャー・セッションズ]]の『{{仮リンク|モンテスマ (オペラ)|label=モンテスマ|en|Montezuma (opera)}}』、[[ピーター・マックスウェル・デイヴィス]]の『{{仮リンク|タヴァナー (オペラ)|label=タヴァナー|en|Taverner (opera)}}』などのアメリカ初演を行なった。
== 関連項目 ==
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* Eichler, Jeremy, [http://www.bostonglobe.com/arts/theater-art/2014/09/20/livingarts-operahouse/F3TplybxVKpTUERhzn4oPJ/story.html "Boston overdue for a proper opera house"], ''The Boston Globe'', 20 September 2014. Retrieved 21 September 2014
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[[Category:クラシック音楽史]]
[[Category:ボストンの組織]]
[[Category:ボストンの文化]]
[[Category:ボストンの歴史]]
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[[Category:1958年設立]]
[[Category:1990年廃止]]
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