「四十八人目の忠臣」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
編集の要約なし
44行目:
: 浅野家断絶後、瑤泉院(阿久利)から浪士を助けるよう命じられ、「'''四十八人目の忠臣'''」になる。
: 磯貝と市井で身を潜め暮らしていたが、吉良家の内情を探るべく上杉家下屋敷へと奉公に上がる。その際、母の名を偽名に使う。
: 仇討ちの後、桜田御殿へ奉公に上がり綱豊(後の[[徳川家宣]])の手がつき覚悟を決め身を委ね側室となる。
: 綱豊(家宣)が将軍後継者として指名され、自身も側室として江戸城西の丸大奥へ上がることとなり大奥では「'''左京の方'''」と名を改める。命を繋ぐ決心をし、やがて懐妊し、鍋松(後の[[徳川家継]])を産む。
; 善左衛門