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== 経歴 ==
[[1926年]]、旧制斐太中学(現[[岐阜県立斐太高等学校]])を経て[[早稲田大学]][[政治経済学部]]卒業。[[東京朝日新聞]]に入社。[[満州事変]]の従軍記者として活躍し、[[1936年]]の[[ジョージ6世 (イギリス王)|ジョージ6世]][[戴冠式]]に特派され、文名を高めた。[[1939年]]に東京本社社会部長になる。その後、[[リオデジャネイロ]]支局長や[[マニラ]]総局長を歴任する。[[太平洋戦争]]終結後の[[1945年]][[11月]]に[[論説委員]]となり、「[[天声人語]]」を17年半にわたって担当してその名を高め、[[1956年]]に第4回[[菊池寛賞]]受賞。[[1963年]]の退社後はコラムニスト・自然保護活動家として活躍、[[日本自然保護協会]]会長などを務めた。
 
==著書==
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*有山輝雄「新垣秀雄」(『国史大辞典 15』(吉川弘文館、1996年) ISBN 978-4-642-00515-9)
 
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[[Category:戦前の朝日新聞社の人物]]