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差分

[[公共職業安定所]]からも農村や地方の中学校に求人を出していた。求人倍率も高倍率3.3倍前後であり[[人手不足]]であった。企業側から出向いて勧誘を行い、賃金や厚生施設を充実させた<ref>時代の流れが図解でわかる。『早わかり昭和史』[[古川隆久]]144頁下段9行目~13行目</ref> 。また高度の技術が習得されていた。
 
職種としては[[ブルーカラー]](特に製造業)やサービス業(特に商店や飲食店)での単純労働が主体であり、男子の中卒労働者の統計結果は工員が過半数を占め、次に多いのは[[職人]]であり、次に多いのは[[店員]]の順番であり、女子の中卒労働者の統計は[[ブルーカラー|工員]]が4割で最多であり、次に多いのは店員であり、続いて[[事務員]]の順で多かった。男子とは異なり、女子は殆どが25歳までに結婚退職する時代であったため、工場での補助作業や事務などといった補助的な職種に就く者が多かった。
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殆どが[[労働組合]]のない[[京浜工業地帯]]等の[[中小企業]]や[[零細企業]]だったため、-->労働条件や生活環境もかなり厳しく、離職転職者も多かった<ref name="kotobank"/>。各種の理由から勤続後の独立開業が困難であったため、戦前のいわゆる[[丁稚]]よりも厳しい環境であった。
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