「金鵄勲章」の版間の差分

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[[File:OrderShimamura of the Golden Kite 1st and 2nd class plaqueHayao.jpg|right|thumb|250px|功二級金鵄勲章(左上)および級金鵄勲章副章(喉下を併佩した海軍大将当時の[[島村速雄]]]]
'''金鵄勲章'''(きんしくんしょう)は、かつて制定されていた[[勲章 (日本)|日本の勲章]]の一つ。授与対象は[[日本軍|陸海軍]]([[大日本帝国陸軍|陸軍]]・[[大日本帝国海軍|海軍]])の[[軍人]]および[[軍属]]。'''金鵄章'''ともいう。
 
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== 概要 ==
[[File:Mitsuru Ushijima.jpg|thumb|200px|功二級金鵄勲章および、功五級金鵄勲章を併佩する陸軍中将当時の[[牛島満]]。牛島は尉官時代の[[シベリア出兵]]時に功五級を、将官時代の日中戦争時の戦功で功二級を授章した]]
[[File:Kinshi4.jpg|right|thumb|150px|功五級金鵄勲章]]
[[File:Order of the Golden Kite 7th Class 02.JPG|thumb|left|120px|功七級金鵄勲章。右上は平服用の円型[[略綬]]]]
金鵄勲章は、[[1890年]](明治23年)の[[紀元節]](2月11日)に、[[明治天皇]]が発した「金鵄勲章創設ノ詔勅」によって創設され、同日に「金鵄勲章ノ等級製式及佩用式」(明治23年2月11日[[勅令]]第11号)によってその製式等が定められた。「武功抜群ナル者」を、「功一級」から「功七級」まで7等級の'''功級'''に叙した上で、勲章を授与した。([[大日本帝国陸軍]]と[[大日本帝国海軍]]の
 
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== 意匠 ==
[[File:JPNOrder Kinshi-kunshoof blankthe BARGolden Kite 1st and 2nd class plaque.svgjpg|right|thumb|150px250px|功二級金鵄勲章の[[軍服]]用略綬(功一級金鵄勲章副章)]]
 
金鵄勲章は神武天皇が東征のみぎりに金色の霊鵄が弓にとまり、長髄彦の軍勢がそれに目が眩んで降参したという逸話に基づいている。赤色[[七宝]]の旭光の上に金色の霊鵄を配し、下に大神宮の盾、矛、剣を配した物である。功級により金[[鍍金]]の範囲が異なるが、ほとんどの等級で意匠は同一。裏面の装飾は無い。功一級の副章及び功二級の正章のみ、斜めの旭光部分に黄色の七宝が用いられている。
 
綬は[[浅葱色]]と呼ばれる鮮やかな緑色を織地に白の双線が配されている。佩用式は[[旭日章]]などと変わらないが、功一級の大綬は日本の勲章で唯一、左肩から右脇に掛けた。
 
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=== 功級 ===
[[File:Kinshi4.jpg|right|thumb|150px|功五級金鵄勲章]]
[[File:Mitsuru Ushijima.jpg|thumb|200px|功二級金鵄勲章および、功五級金鵄勲章を併佩する陸軍中将当時の[[牛島満]]。牛島は尉官時代の[[シベリア出兵]]時に功五級を、将官時代の日中戦争時の戦功で功二級を授章した]]
[[File:Order of the Golden Kite 7th Class 02.JPG|thumb|left|120px|功七級金鵄勲章。右上は平服用の円型[[略綬]]]]
File:JPN Kinshi-kunsho blank BAR.svg|金鵄勲章の[[軍服]]用略綬
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=== 功級 ===
[[File:HIH Prince Takeda Tsunehisa.jpg|thumb|200px|功五級金鵄勲章を佩用した陸軍騎兵大尉当時の[[竹田宮恒久王]]。恒久王は日露戦争時の戦功で功五級を授章した]]
[[Image:Hata Syunroku3.jpg|thumb|200px|功一級金鵄勲章(功一級副章)を佩用する[[元帥 (日本)|元帥]]陸軍大将当時の[[畑俊六]]]]
 
金鵄勲章に付随して、叙せられた軍人の功績を示す等級。[[位階]][[勲等]]と並び「功○級」と表示した(肩書きにおける表示順は、職、[[軍隊における階級呼称一覧|階級]]、[[位階]]、[[勲等]]、功級、[[爵位]]、[[学位]]、[[氏名]]となる。例として「[[枢密院 (日本)|枢密院]]議長[[元帥 (日本)|元帥]][[陸軍大将]][[従一位]][[大勲位]]功一級[[公爵]][[山縣有朋]]」)。各級は正式には功一級金鵄勲章のように等級+金鵄勲章の形で呼ばれる。また功級に合わせて[[年金]]が下賜された。年金は時代変化とインフレ率に従い、金鵄勲章が廃止になる1945年頃まで徐々に金額は上昇していった。
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File:Kataoka Shichiro.jpg|功一級金鵄勲章(大綬および功二級章)を佩用した海軍大将当時の[[片岡七郎]]
 
Image:Hata Syunroku3.jpg|功一級金鵄勲章(功一級副章)を佩用する[[元帥 (日本)|元帥]]陸軍大将当時の[[畑俊六]]
 
File:Shimamura Hayao.jpg|功二級金鵄勲章(左上)および功三級金鵄勲章(喉下)を併佩した海軍大将当時の[[島村速雄]]
File:Prince Fushimi Sadanaru.jpg|thumb|200px|功三級金鵄勲章を喉下に佩用している陸軍中将当時の[[伏見宮貞愛親王]]
Image:Higashikuni-no-miya Wedding 1943.jpg|功四級金鵄勲章を胸元に佩用した陸軍大尉当時の[[盛厚王]]
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===== 支那事変の功 =====
[[File:Yasuji Okamura.jpg|thumb|200px|陸軍略装に功一級副章(向かって右)を佩用した岡村寧次]]
* [[岡村寧次]]:陸軍大将;[[1942年]][[3月21日]]
* [[寺内寿一]]:元帥陸軍大将伯爵;1942年3月21日
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===== 日露戦争の功 =====
[[File:Kataoka Shichiro.jpg|thumb|200px|功一級金鵄勲章(大綬および功二級章)を佩用した海軍大将当時の[[片岡七郎]]]]
* [[伊東祐亨]]:元帥海軍大将伯爵;1906年4月1日
* 伊集院五郎:元帥海軍大将男爵;1906年4月1日