「ガンデンポタン」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
m編集の要約なし
44行目:
 
「ガンデンポタン」という呼称は、この政府が[[ポタラ宮殿]](1660年完成)に移転するまで本拠を置いていた[[デプン寺]]の「兜率宮殿」に由来する。[[ワイリー拡張方式]]による[[チベット語]]表記では、dga' ldan pho brang。チベット政府としての正式呼称は「ガンデンポタン・チョーレーナムギャル(dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal, 諸方に勝利せるガンデンポタン)」。下記の「国章」にも、二頭の雪獅子の足下の赤帯の上に、ウメ体で「諸方に勝利せるチベット政府ガンデンポタン(bod gzhung dga' ldan pho brang phyogs las rnam rgyal)」と記されている。
 
チベット亡命政府は、選挙を行ってトップの首席大臣を選出するなど[[民主主義|民主的]]な制度を持ち、数ある難民社会の中でも異色の存在感を持っているとされる<ref>{{cite news |title=難民社会の成功モデル? チベット亡命政府トップ単独インタビュー|newspaper=[[ニューズウィーク]] |date=2017-2-24|url=http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/02/post-7052.php| accessdate=2017-3-5}}</ref>。
 
== 歴史 ==