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{{otheruses|1835-1902年19世紀の小説家|1612-1680年17世紀の詩人|サミュエル・バトラー (詩人)|1774-1839年の教師|サミュエル・バトラー (教師)}}
{{Portal|文学}}
[[ファイル:SamuelErewhonButler.jpg|thumb|right|サミュエル・バトラー]]
'''サミュエル・バトラー'''(Samuel Butler、[[1835年]][[12月4日]] - [[1902年]][[6月18日]])は、[[イギリス]][[作小説]]
 
[[ノッティンガムシャー]]、ランガー・レクトリー (Langar Rectory) 生まれ。父はトーマス・バトラー(Thomas Butler)、母はファニー(Fanny、旧姓 Worsley)。シュルーズベリー・スクール(Shrewsbury School)を経て、[[ケンブリッジ]]のセント・ジョンズ・カレッジ(St John's College)を[[1858年]]に首席で卒業
 
[[1859年]]、[[ニュージーランド]]に移住する
シュルーズベリー・スクール(Shrewsbury School)を経て、[[ケンブリッジ]]のセント・ジョンズ・カレッジ(St John's College)を[[1858年]]に首席で卒業。
 
[[1863年]]、[[チャールズ・ダーウィン]]の『[[種の起源]]』が発表されると、バトラーはこれ以降生涯にわたって[[進化論]]批判を繰り広げることとなる。
[[1859年]]、[[ニュージーランド]]に移住。
 
[[1863年]]、[[チャールズ・ダーウィン]]の『[[種の起源]]』が発表され、バトラーはこれ以降生涯に渡って[[進化論]]批判を繰り広げることとなる。
 
[[1864年]]、イングランドに戻り、クリフォーズ・イン(Clifford's Inn)に部屋を構え、生涯をそこで過ごした。
 
[[1872年]]、匿名で[[ユートピア]]小説『[[エレホン]]』("''Erewhon"'')を発表する。理想郷エレホンの名前は、英単語「Nowhere(どこでもない)」の[[アナグラム]]である。<!-- whの順序が保たれていますので厳密には逆でなくアナグラムと言うべきかと存じます -->
 
英国の作家[[オルダス・ハクスリー]]は、自身の[[ディストピア]]小説『[[すばらしい新世界]]』『エレホン』の影響を受けていることを公式に認めている。
 
半自伝的小説『万人の道』("''The Way of All Flesh"'')は彼の死後発表された。
 
== 著作リスト ==
*"Erewhon", 1872
**『エレホン - 山脈を越えて - 』:[[岩波文庫]]([[山本政喜]]訳)
**別題:『エレホン - 倒錯したユートピア』:音羽書房([[石原文雄]]訳)
*"The Way of All Flesh", 1903
**『万人の道』:岩波文庫([[今西基茂]]訳)/[[旺文社文庫]]([[北川悌二]]訳)
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[[Category:イギリスの小説家]]
[[Category:ケンブリッジ大学出身の人物]]
[[Category:ノッティンガムシャー出身の人物]]
[[Category:1835年生]]
[[Category:1902年没]]