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=== 魯公弑殺 ===
前662年8月5日に荘公が没し、第17代魯公の座に荘公の子である[[子斑|公子斑]]が即位するが、その直後に慶父はを暗殺し、密通相手の哀姜の妹の叔姜の子で、子斑の異母弟の公子啓を第18代魯公として擁立した。この後、政敵の季友が陳に亡命したことで、慶父は公子啓こと[[閔公 (魯)|閔公]]の宰相として魯の最高権力を握ることとなった。
 
しかし、閔公が斉の桓公に季友を魯に帰国させる事を訴え、自ら季友を迎えに行ったことから、慶父は閔公が擁立者の自分よりも季友を信頼していたことに激怒し、哀姜の示唆もあって、自らが魯公になる決意を固め、[[紀元前660年]]に閔公も[[暗殺]]してしまう。