「ドライビール」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
25行目:
 
; キリンビール
: 1988年2月22日<ref name="cmnow22">{{Cite journal|和書|year=1988|month=10|title=CM NOWのアングル ドライビールの広告と売り上げ!?|journal=[[CM NOW]]|issue=22号|pages=p.48|publisher=[[玄光社]]|accessdate=2017-03-09}}</ref>『キリンドライ』(CMに俳優の[[ジーン・ハックマン]]を起用し、CMソングにはミュージシャンの[[鈴木雅之 (歌手)|鈴木雅之]]を起用)、[[1989年]]4月に麦芽100%のオールモルト生ドライビール『キリンモルトドライ』を発売。販売数量はキリンドライが1988年4000万ケース、1989年1750万ケースで、モルトドライが1989年350万ケース<ref name="dai7kai" />。しかし『アサヒスーパードライ』の独走を止めることはできず、1988年にはそれまで維持していた日本国内シェア50%を割っている。
; [[サッポロビール]]
: 1988年2月26日<ref name="cmnow22"/>『サッポロドライ』(CMに[[吉田拓郎]]、[[広岡達朗]]、[[石田えり]]を起用)を発売。販売数量は1988年2300万ケース、1989年950万ケース<ref name="dai7kai" />。しかし、それまでの同社のファンからは不評で発売2年足らずで生産を中止。さらにドライ感を強めた『サッポロハーディ』や『サッポロクールドライ』を1989年に発売するも、短期間で生産を終了している。
; [[サントリー]]
: 1988年2月23日<ref name="cmnow22"/>、『サントリードライ』を発売。販売数量は1988年1300万ケース、1989年750万ケース<ref name="dai7kai" />。差別化戦略としてアルコール度数を5.5%に高めた『サントリードライ5.5』も発売し、CMにボクサーの[[マイク・タイソン]]を起用したことが話題になった。販売数量は1988年200万ケース<ref name="dai7kai" />。その一方『[[モルツ]]』のCMでは「私はドライではありません」と謳っていた。1989年には二条大麦と六条大麦のダブルモルトを使用した麦芽100%ドライの『冴』を発売し、こちらは和風のイメージで差別化を図った。
 
各社が発売したドライビールは想定以上の需要が押し寄せ2月下旬には品不足状態となったが、アサヒは前年から需要拡大の販売計画を立て供給力に余裕があったことから、他社の潜在需要も在庫があったスーパードライに流れた<ref name="dai7kai" />。さらにアサヒは生産能力の向上に努め、スーパードライに傾斜した生産体制をとり、他社もスーパードライの独走体制の阻止を図るため、ドライビールの生産増強や[[販促]]・[[宣伝]]活動に注力した<ref name="dai7kai" />。この状態をマスコミは「ドライ戦争」と表現して盛んに用いた([[#概要|前述]])<ref name="singo"/>。