「公」の版間の差分

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[[周]]の最高位にある3人の[[大臣]]が[[三公]]と呼ばれたことから、公は大臣の尊称としても用いられるようになった。[[公卿]]は三位以上及び参議に任ぜられた人への敬称とである[[卿]]と組み合わせた言葉であり、また[[公家]]という呼び名の元になっている。後には身分の高い人や年配の人に対して広く用いられる尊称となった。今では廃れたが店の主人をさして「[[主人公]]」と呼ぶ用法があった。
 
奈良時代から平安時代前期には、[[藤原不比等]](文忠公、淡海公)、[[藤原基経]](昭宣公、越前公)といった九名の公卿に、[[諡|諡号]]としての公が贈られている。平安時代以降、位階に関わらず自らの[[主君]]への尊称として名の下に公と付けて呼ぶ例が生まれ、江戸時代まで続いている。[[水戸藩]]では主君への諡(おくりな)に「公」を用いていた([[徳川斉昭]]であれば「烈公」)。
 
[[武家政権]]([[封建制]])の時代、特に[[鎌倉時代]]末期以降に、[[征夷大将軍|将軍]]<!--や、その[[幕府]]ないしそれに順じた権力→公方とは将軍個人を指す語で、幕府を指す語ではありません。←ホントにそうなんですか?要出典プリーズ!-->を[[公方]](くぼう)と呼ぶようになる。これは、将軍の権威が増したことにより、国家を体現する公としての性格を将軍が得たことを示している。この際、日本独自の感覚として「私」と「公」が対立関係に転化したと思われる。
 
明治時代以降においては、[[公爵]]を受爵した人への敬称として使用する([[近衛文麿]]であれば「近衛公」)。[[日韓併合]]後、[[大韓帝国]]帝室である[[李王家]]は、[[王公族]]の待遇を与えられ、各分家の長である男性に「公」の称号が与えられた。[[第二次世界大戦]]後に王公族は廃止され、法的な地位を失った。