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社殿は、宇佐亀山に[[神亀]]2年([[725年]])に一之殿が造営された。以後、[[天平]]元年([[729年]])に二之殿、[[弘仁]]14年([[823年]])に三之殿が造営されて現在の形式の本殿が完成したと伝えられている。
 
[[天平]]12年([[740年]])の[[藤原広嗣の乱]]の際には、官軍の大将軍の[[大野東人]]が決戦前に戦勝を祈願した。また、天平15年([[743年]])の[[東大寺]]造営の際に宮司等が託宣を携えて上京し、造営を支援したことから中央との結びつきを強めた。そして[[神護景雲]]3年([[769年]])の[[宇佐八幡宮神託事件]]では皇位の継承まで関与するなど、[[伊勢神宮]]を凌ぐ程の[[皇室]]の宗廟として崇拝の対象となり繁栄し信仰を集めた。
 
[[平安時代]]中期の『[[延喜式神名帳]]』には、3神が「[[豊前国]][[宇佐郡]] 八幡大菩薩宇佐宮」、「豊前国宇佐郡 比売神社」、「豊前国宇佐郡 大帯姫廟神社」として記載され、いずれも[[名神大社]]に列している。