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'''イェジ'''(イェルジー)'''・ネイマン'''('''Jerzy Neyman''' [[1894年]][[4月16日]] [[ベンデリ]] [[:en:Bendery|Bendery]](現[[モルドヴァ]]) - [[1981年]][[8月5日]] [[カリフォルニア州]][[オークランド (カリフォルニア州)|オークランド]])は数理[[統計学]]者。[[エゴン・ピアソン]]とともに現代の[[推計統計学]]の中心的理論を確立した。
 
父は[[ポーランド]]系(元来[[ユダヤ系]]だが[[カトリック教会|カトリック]]信者)の法律家で、[[ロシア帝国]]内各地で仕事をしていた。イェジは次男として生まれ、[[1912年]][[ハリコフ]]大学に入学、数学を学んだ。在学中に[[カール・ピアソン]]の「科学の文法」を読み強い影響を受けた。[[ロシア革命]]後の混乱期も(一時敵国人として拘束されたが)大学で研究を続け、[[1921年]]ポーランドに移った。[[ビドゴシチ]]農業研究所、翌年に[[ワルシャワ]]の国立天文台で働き、[[1923年]]にワルシャワ大学助教授となって[[確率論]]と統計学を講じた。
 
[[1925年]]、[[ロンドン大学]]のピアソンのもとに留学した。ピアソンはもはや[[測度論]]的確率論など最新の理論には疎かったが、息子の[[エゴン・ピアソン]]とは意気投合した。[[1926年]][[パリ]]に短期留学し[[エミーユ・ボレル|ボレル]]、[[ルベーグ]]らに学ぶが、この時期からエゴンとの[[仮説検定]]理論の共同研究も開始した。