「忠臣蔵 天の巻・地の巻」の版間の差分

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『'''忠臣蔵 天の巻・地の巻'''』(ちゅうしんぐら てんのまき・ちのまき)は、[[1938年]](昭和13年)[[3月31日]]公開の[[日本映画]]である。[[日活]]製作・配給。監督は[[マキノ雅弘|マキノ正博]]、[[池田富保]]。[[モノクローム|モノクロ]] [[画面アスペクト比|スタンダード]] 102分。
==概要==
[[牧野省三|マキノ省三]]の没後10周年記念作品。日活が伸び悩んでいた興行成績を挽回するために製作し、日活東西撮影所のスター俳優を総動員した春季超特作である<ref>[http://www.nikkatsu.com/movie/13616.html 忠臣蔵 前篇 天の巻]、日活作品データベース、2015年3月3日閲覧</ref><ref>[http://cinema.pia.co.jp/title/136905/ 忠臣蔵 天の巻・地の巻]、@ぴあ映画生活、2015年3月3日閲覧</ref>。「天の巻」と「地の巻」の2部構成で、スタッフは両作で異なっている。初公開時は19巻物で、戦あった。当時は「空前絶1953年(昭和28年)の陣容を配して贈る最高最大の忠臣蔵映画」と称されて、[[12月12日片岡千恵蔵]]、[[嵐寛寿郎]]、[[阪宝系で妻三郎]]の豪華な顔ぶれとともに、本家本流の忠臣蔵映画という側面が強かったとされて、戦後のGHQの統制が終わった後に二度再公開されている
 
==戦後の再公開==
この戦後1953年(昭和28年)12月12日に日活ではなく東宝系で再公開は、された。戦中に製作部門が合併されて大映となったために日活は興行会社であった日活が、。一方東宝争議の後に新東宝が生まれ、製作能力が著しく低下した東宝が戦前の作品の改訂版の上映で急場を凌いでいた事情から、日活側で戦前の忠臣蔵「天の巻」「地の巻」の改定総集版を作り、東宝側で上映する「日活提供・東宝配給」の形で実現したものであった。この時の102分尺(12巻分)のプリントのみが現存している<ref>『戦後忠臣蔵映画の全貌』谷川健司 著 58-59P参照</ref>。そして翌年に日活は製作部門を再開して映画製作に乗り出し、3年後の1956年(昭和31年)12月12日にいったん東宝で再映したこの作品を再び日活で公開している。その時は併映で当時売り出し中であった石原裕次郎の「地底の歌」との二本立てであった<ref>『戦後忠臣蔵映画の全貌』谷川健司 著 106P参照</ref>。
 
[[2013年]](平成25年)[[12)12月3日]]に[[HDリマスター]]版の[[DVD]]が日活より発売された(DVD題。タイトルは『忠臣蔵「天の巻」「地の巻」(総集編)』としている<ref>[http://www.nikkatsu.com/package/32631.html 忠臣蔵「天の巻」「地の巻」(総集編)]、[[日活]]HP DVD・ブルーレイ、2015年3月3日閲覧</ref>。
 
==スタッフ==