「英露協商」の版間の差分

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== 交渉の経過 ==
[[1906年]]より、イズヴォリスキー外相と{{仮リンク|在ロシアイギリス大使|label=駐露英国大使|en|List of Ambassadors of the United Kingdom to Russia}}{{仮リンク|[[アーサー・ニコルソン (初代カーノック男爵)|label=サー・アーサー・ニコルソン|en|Arthur Nicolson, 1st Baron Carnock}}]]の間で交渉が行われ、1907年8月31日、[[サンクトペテルブルク]]にて英露協商が成立した。これによって、既に成立していた[[露仏同盟]]、[[英仏協商]]とあわせ、[[三国協商]]が成立した。
 
イギリスがこの協約を成立させたことは、暗にロシアのバルカン半島への南下を、自国の国益に反しない範囲で容認するものであり、いわゆる「[[3B政策]]」を推進する[[ドイツ]]を牽制する狙いもあったとされる。