「エアバスA300」の版間の差分

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1966年7月にエアバス計画の担当企業としてイギリス政府が[[ホーカー・シドレー]]を、フランス政府がシュドを指名し、これにドイツのエアバス検討グループが加わり共同プロジェクトとしてヨーロピアン・エアバスを開発することに合意した{{sfn|松田|1981a|p=53}}。同年10月15日にプロジェクト参加企業はそれぞれの政府に対して計画への助成申請を行ったほか、機体仕様のとりまとめも進行して[[1967年]]2月に初期仕様書が発行された{{sfn|松田|1981a|p=53}}{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=8}}。
 
その後、ヨーロピアン・エアバスは、より広い旅客機市場に対応できるよう[[最大離陸重量]]が120トンに引き上げられ機体サイズが300席級に大型化した{{sfn|松田|1981a|p=53}}。この機体案はエアバス(Airbus) (Airbus) の"A"と座席数の"300"を組み合わせて'''A-300'''と呼ばれるようになった{{sfn|松田|1981a|p=53}}{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=8}}。1966年7月にボーイングが正式開発を決定していた747との共通性を重視するよう仕様が変更され、胴体直径は747とほぼ同じ6.4メートル、搭載できる貨物コンテナや床面地上高も747と同じとされた{{sfn|松田|1981a|p=53}}。また、エンジンも航空会社は747と同じ[[プラット・アンド・ホイットニー]](以下、P&W)社の[[プラット・アンド・ホイットニー JT9D|JT9D]]を装備するよう要請していた{{sfn|松田|1981a|p=53}}。
 
しかし、イギリスは自国の[[ロールス・ロイス・ホールディングス|ロールス・ロイス]](以下、{{nowrap|R-R}})が計画していた新エンジン「RB207」の採用を強硬に主張し、英仏独政府間の調整により機体の取りまとめをフランスが担当するかわりとしてエンジンは{{nowrap|R-R}}製RB207双発のみとなった{{sfn|松田|1981a|pp=53–54}}。1967年9月4日には西ドイツにおけるエアバス事業の受け皿として、[[メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム|MBB]]{{refnest|group="注釈"|1968年から1969年にかけて[[メッサーシュミット]]、{{仮リンク|ベルコウ|en|Bölkow}}、{{仮リンク|HFB|en|Hamburger Flugzeugbau}}が相次いで合併して誕生した企業。}}とVFWの合弁によりドイチェ・エアバス社が設立された{{sfn|松田|1981a|p=54}}{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|p=208}}。こうして着々と準備が進められ、1967年9月26日に英仏独3か国政府で以下のようなA-300プロジェクトの[[了解覚書]]が取り交わされた{{sfn|松田|1981a|p=54}}{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|p=208}}{{sfn|浜田|2010a|p=94}}{{sfn|帆足|2001|p=39}}。
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フランスとドイツの両政府が開発資金を融資し、シュドとドイチェ・エアバスが継続してそれぞれの国の事業担当となった{{sfn|松田|1981a|p=55}}。イギリス政府は計画から離脱したことで、主翼開発に参画していたホーカー・シドレーが窮地に立った{{sfn|坂出|2009|p=53}}。ホーカー・シドレーは民間企業としてプロジェクト参加継続を希望したが、政府の援助なしには主翼開発が難しかった{{sfn|坂出|2009|p=53}}。主翼を開発できる代替企業もなかったことから、開発費の一部をドイツ政府が援助する条件でホーカー・シドレーは自社資金でプロジェクトに残ることになり、1969年6月にシュドおよびドイチェ・エアバスに対して参加契約を締結した{{sfn|松田|1981a|p=55}}{{sfn|青木|2010|p=124}}{{sfn|坂出|2009|p=53}}。また、同年11月には[[オランダ]]の[[フォッカー]]もプロジェクトに加わった{{sfn|松田|1981a|p=55}}。[[1970年]]1月にはフランスでシュドとノールが合併してアエロスパシアルとなりエアバス担当企業の座を引き継いだ{{sfn|松田|1981a|p=55}}。
 
フランス・ドイツ両政府の積極的な支援のもと計画は前進し、1970年12月18日、共同事業を取りまとめるため企業連合「エアバス・インダストリー」が設立された{{sfn|松田|1981a|p=55}}{{sfn|青木|2010|p=125}}。エアバス・インダストリーはフランス商法に基づく{{仮リンク|経済利益団体|en|Groupement d'intérêt économique}}(GIE) (GIE) で、単独法人ではなく参加企業が共同で責任を持つ特殊会社であった{{sfn|松田|1981a|p=55}}{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|p=208}}。設立時はアエロスパシアルとドイチェ・エアバスが50対50で出資し、1971年12月23日にはスペインのCASAもメンバーに加わり出資比率は表1のようになった{{sfn|松田|1981a|p=55}}。ホーカー・シドレーとフォッカーは協力会社として開発や生産を分担した{{sfn|松田|1981a|p=55}}。開発費は参加企業だけでなく各社を抱える各国政府による分担もあり、その内訳は表1の通りとなった{{sfn|松田|1981a|p=55}}。
{| class="wikitable" style="font-size:91%;"
|+ {{nowrap|表1: A300の生産・開発費分担と1978年までのエアバス・インダストリーへの出資比率}}
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A300の胴体断面は外径5.64メートルの真円形となった{{sfn|藤田|2001a|pp=44–45}}。この胴体径は、必要な座席数を満たしつつ床下貨物室にLD-3[[航空貨物]]コンテナを左右並列に搭載できる寸法として決定された{{sfn|浜田|2010a|pp=96–97}}{{sfn|藤田|2001a|pp=44–45}}。構想初期には747の胴体幅に迫る6.4メートルという外径から始まったが、客席数の変更などに合わせて修正が重ねられて最終的に外径5.64メートルに落ち着いた{{sfn|藤田|2001a|pp=44–45}}{{sfn|浜田|2010a|pp=94–97}}。
 
A300の空力学的特性は、欧州域内を結ぶ短中距離路線で最適となる飛行速度と経済性を目指して設計された{{sfn|Obert|2009|p=251}}。A300の主翼の[[翼型]]にはホーカー・シドレーが[[ホーカー・シドレー_トライデント|トライデント]]や[[ホーカー・シドレー HS.125|HS.125]]、[[アームストロング・ホイットワース AW.681|HS.681]]などの研究開発を通して10年以上練り上げてきた「リア・ローディング翼型」が採用された{{sfn|松田|1981b|p=103}}。この翼型は翼後方の下面がえぐられたような形状を持ち、翼の後半で多くの揚力を得ることができ、遷音速{{refnest|group="注釈"|name=transonic|飛行速度が音速より速い場合を超音速、遅い場合を亜音速と呼ぶ。飛行機の周りを流れる空気の流れは一様ではない。速度が亜音速から音速に近づくと、流れが加速された領域が超音速となり、それ以外が亜音速となる。この亜音速と超音速が混在する領域が遷音速と呼ばれる<ref name=encyclopedia-165/>。}}での巡航時に翼表面の流速が部分的に音速を超えても抵抗が急増しないという特徴を持つ{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|Obert|2009|pp=252&ndash;253}}{{sfn|松田|1981b|pp=103&ndash;104}}。当時最先端の技術であり、注目を浴びた{{sfn|松田|1981b|p=103}}。この翼型の特性は、1968年に[[アメリカ航空宇宙局]](NASA) (NASA) が開発したスーパークリティカル翼型と基本的に同じであるが、翼を設計したホーカー・シドレーは、NASAとは独立にリア・ローディング翼型の開発に至ったとして、決してスーパークリティカル翼型の一種とは認めなかった{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。
 
リア・ローディング翼型は衝撃波の発生を遅らせ揚力係数を増加できることから、後退角と翼厚比を同じくした場合に従来の翼型よりも高速で飛行できる{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}。しかし、A300は短中距離路線に適した旅客機を目指していたことから高い巡航速度は不要とされ、リア・ローディング翼型の特色を翼厚を増やして後退角を減らすよう振り向けられた{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|松田|1981b|p=104}}。後退角は25パーセント翼弦で28度と浅くなり低速時の操縦性に有利になったほか、翼厚比の増加は強度面に有利に働き、構造重量は従来の翼厚比の主翼と比べて同一翼面積で1トン以上の軽量化に成功した{{sfn|松田|1981b|p=105}}{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|李家|2011|p=132}}。
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主翼には[[高揚力装置]]として前縁にスラット、後縁にフラップが設けられた{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}。スラットは主翼のほぼ全幅にわたり配置され、エンジンパイロンの付け根で他機ではスラットが途切れる部分にも、パイロンを避ける切り欠きを入れることでスラットを通し揚力を稼いだ{{sfn|青木|2010|p=68}}{{sfn|松田|1981b|p=104}}。フラップはタブ付きのダブルスロット型ファウラーフラップが採用され、後縁翼幅の84パーセントにわたる当時の大型民間機では例のない大きさとなった(フラップの詳細は[[#形状・構造|形状・構造節]]参照){{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|松田|1981b|p=104}}。主翼の[[補助翼|エルロン]]は片翼あたり2枚で、外翼部に低速度エルロン、エンジン後方部に全速度エルロンが配置された{{sfn|松田|1981b|p=104}}。エルロンを2枚持つのは当時の大型ジェット旅客機としては一般的ではあったが、28度という浅い後退角の翼では珍しかった{{sfn|藤田|2001a|p=49}}{{sfn|松田|1981b|p=105}}。また、[[ローリング|ロール]]方向の操縦にはエルロンだけでなく、[[スポイラー (航空機)|スポイラー]]も用いるよう設計された{{sfn|松田|1981a|p=56}}。
 
A300が設計された当時はまだ[[グラスコックピット]]や[[フライ・バイ・ワイヤ]]技術が確立しておらず、[[旅客機のコックピット|コックピット]]や飛行システムは従来の機械式で計器類も機械電気式であるが、[[アビオニクス]]の技術進歩に対しても対応できるよう、機器類の搭載スペースや冷却能力には余裕をもたされた{{sfn|青木|2010|p=66}}{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|渡邊|1981b|p=19}}。特に[[ブラウン管]](CRT) (CRT) を利用したディスプレイの搭載や計器類の増設、そして電気信号を介して動翼を操縦する[[フライ・バイ・ワイヤ]]の導入にも備えた設計がなされた{{sfn|渡邊|1981b|p=19}}。運航に必要な操縦士は[[機長]]、[[副操縦士]]、[[航空機関士]]の3人であり、エアバス・インダストリーが開発した旅客機で唯一の3人乗務機となった{{sfn|EASA|2014|p=26}}{{sfn|青木|2010|pp=66, 73}}{{refnest|group="注釈"|name=crew|A300第1世代を除くエアバス製旅客機は、全て運航乗務員が2名である{{sfn|青木|2014|pp=96&ndash;125}}。}}
 
航続距離延長型となるA300B4では、中央翼(主翼が胴体内を貫通する部分)内にも燃料タンクを設けて燃料搭載量を増やした{{sfn|松田|1981a|pp=56&ndash;57}}。また、最大離陸重量をA300B2の137トンから150トンに引き上げ、これによる離着陸性能の低下を補うため主翼前縁の翼根部にクルーガー・フラップ([[高揚力装置]]の一種)が追加された{{sfn|松田|1981a|pp=56&ndash;57}}{{sfn|青木|2010|p=66}}。
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[[File:Airbus A310-221, Swissair AN0521293.jpg|thumb|left|[[スイス航空]]のA310-200。同社はルフトハンザ航空と共にA310の最初の発注者となった。]]
A310の胴体は、A300の胴体から平行部分で11フレーム短縮された{{sfn|青木|2014|p=123}}{{sfn|浜田|2010b|p=94}}。また、このままでは機体重心から[[尾翼]]までの距離が長くなってしまうので、圧力隔壁の後方にあたる尾部も2フレーム短縮されて尾部の絞り込みがA300より急角度になった{{sfn|青木|2010|p=71}}。これにより、A310の全長はA300B2より6.96メートル短縮された{{sfn|浜田|2010b|p=94}}。初期のA310構想では主翼やシステム類はA300のものを流用して開発費を抑える考えだったが、ボーイングが全くの新規開発で双発ワイドボディ機「7X7」(のちの[[ボーイング767|767]])を研究していたことから、それに対抗するためエアバス・インダストリーはA310にできるだけ新技術を盛り込むことにした{{sfn|青木|2010|p=71}}。短縮した全長に合わせて主翼は新規に設計された{{sfn|青木|2010|p=71}}。当時、デジタル通信・制御技術が急速に進歩していたことと、航空会社が直接運航費の抑制を求めていたことから、アナログ式だったA300の機体システムは全面的にデジタル式へ設計変更され、自動化技術や[[フライ・バイ・ワイヤ]]技術も導入され、いわゆる[[グラスコックピット]]化された{{sfn|土井|1991|pp=3&ndash;4}}<ref name=FI-1984-0474/>{{sfn|青木|2014|p=123}}{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。これらにより、A310は標準仕様で操縦士2人で運航可能なワイドボディ機となった{{sfn|青木|2014|p=123}}{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。A310では水平尾翼と降着装置も新設計となったほか、[[炭素繊維強化プラスチック]](CFRP) (CFRP) などの[[複合材料]]の使用範囲も拡大された{{sfn|浜田|2010b|pp=94&ndash;96}}{{sfn|青木|2010|p=71}}{{sfn|藤田|2001a|p=49}}。
 
A310はA300と同じ組み立てラインで生産され{{sfn|粂|2007|p=29}}、製造番号もA300と共通の通し番号が採番された{{sfn|青木|2010|p=72}}。通算162号機がA310の初号機となり、1982年4月3日に初飛行した{{sfn|青木|2010|p=72}}。A310は[[1983年]]3月11日に型式証明を取得し、1983年4月10日にルフトハンザ航空により初就航した{{sfn|青木|2010|p=72}}<ref name=FI-1983-0710>{{Citation |title=Lufthansa succeeds in '82 |journal=Flight International |date=1983-04-23 |page=1098 |format=PDF |language=English |url=http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1983/1983%20-%200710.html |accessdate=2014-05-18}}</ref>。
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エアバス・インダストリーは、A320以降の機種でも参加各国でパーツやコンポーネントの生産を分担する体制を続けていた{{sfn|青木|2010|pp=131&ndash;135}}。これまで、参加各国で生産されたコンポーネントの輸送には「スーパーグッピー」輸送機が用いてきたが、同機が旧式化したこととに加え、エアバス・インダストリーの事業が急成長したことで、これに対応するために新しい輸送機が必要になった<ref name=CNN1/><ref name=CNN2/>。そこで、[[1991年]]8月、エアバス・インダストリーはA300-600Rをベースとした新型輸送機[[エアバス ベルーガ|A300-600ST「ベルーガ」]]を開発することを正式決定した{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=13}}。A300-600STは、主翼やエンジンなどをA300-600Rと同じくし、大型貨物を収容できるよう胴体上半分が極めて太いものとなった{{sfn|青木|2010|p=78}}。A300-600STは1994年9月13日に初飛行し、[[1995年]]10月25日に引き渡しが始まった{{sfn|青木|2010|p=79}}。A300-600STは2001年までの間に5機生産され、全機がエアバス子会社の「エアバス・トランスポート・インターナショナル」(Airbus Transport International)で運航され、これによりエアバス機の生産に従事していたスーパーグッピーは全機退役した{{sfn|青木|2010|p=79}}{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=13}}。
 
1980年代前半まで民間航空機市場におけるエアバス・インダストリーのシェアは、納入機数で20パーセントに届くか届かないかだったが<ref name=JADC-data4/>、1999年に初めて受注機数でエアバス・インダストリーがボーイングを上回った{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=6&ndash;7}}。エアバス・インダストリーは参加国政府の様々な後押しを受けて急成長したが、決算報告書も存在しない企業連合(GIE) (GIE) という形態が問題視されるようになり、構成各社や政府内からも財務情報の公表も含めた組織の健全化が求められるようになった{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=6&ndash;7, 208&ndash;209}}{{sfn|山崎|2009|pp=224&ndash;225}}。そこで会社形態を{{仮リンク|単純型株式資本会社|fr|Société par actions simplifiée}}(SAS) (SAS) に転換することになり、2001年に新会社へ移行して社名も「エアバス」(Airbus(Airbus S.A.S.)に変わった{{sfn|青木|2010|p=127}}{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=208&ndash;209}}。
 
A300-600登場後の引き渡し数は、[[1980年代]]末から[[1990年代]]前半まではおおむね毎年20機超であったが、A340・A330の納入が始まり1990年代半ばになると売れ行きが鈍り、毎年10機程度の生産となった<ref name=JADC-data1/>{{sfn|浜田|2010b|p=95}}。CCQの対象外であったA300とA310は、A320から始まったエアバス機のファミリー化の流れから取り残される形になった{{sfn|青木|2014|p=109}}。1990年代後半にはエアバス関係者は、A300が担っていた市場は、A330の短胴型であるA330-200(座席数およそ250席)が代替するようになったとの見方を示している{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。また、この関係者は中距離ワイドボディ機市場には、航続力や運用の柔軟性でA300/A310よりも勝る[[ボーイング767]]の存在することを認めている{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。2006年3月8日、エアバスはA300とA310の生産を2007年7月で終了すると発表し、以降は受注済み機体の生産を終え次第、製造ラインを閉じることとなった{{sfn|粂|2007|p=30}}{{sfn|青木|2014|p=125}}。A300-600の最終生産機は製造番号878号機のA300-600Rの貨物型であり、2007年4月18日に初飛行し、同年7月17日にフェデックスに引き渡された{{sfn|青木|2014|p=125}}。
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主翼[[翼平面形|平面形]]の主なパラメータを見ると、全幅が44.84メートル、主翼面積が260平方メートルでアスペクト比{{refnest|group="注釈"|name=aspect_ratio|アスペクト比とは翼幅の2乗を面積で割った値で翼の細長比を示す値である<ref name=encyclopedia-314/>。}}は7.7である{{sfn|渡邊|1981a|p=5}}{{sfn|松田|1981b|p=104}}。25パーセント翼弦における後退角が28度と比較的浅い一方、翼厚比{{refnest|group="注釈"|name=wing_thickness|最大翼厚を翼弦長で割った値<ref name=JAL-dict-p030>{{Cite web |title=航空実用事典 翼型と翼 |publisher=日本航空 |url=http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p030.html |accessdate=2014-11-29 |archiveurl=http://web.archive.org/web/20150508210942/http://www.jal.com/ja/jiten/dict/p030.html |archivedate=2015-08-05}}</ref>}}は10.5パーセントとやや厚めである{{sfn|渡邊|1981a|p=5}}{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。浅い後退角は低速時の操縦性を向上しやすいほか、翼根部の[[曲げモーメント]]の低減にも繋がり、厚い翼厚比と合わせて構造強度上有利であり構造重量の低減が図られている{{sfn|李家|2011|p=132}}{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。
 
[[File:Subsonic and trans-sonic airfoils.svg|thumb|翼型(翼断面)の模式図。上が従来の翼型で、下がリア・ローディング翼型の特徴を持つ遷音速翼型である。図中の''A''は[[超音速]]領域、''B''は[[衝撃波]]、''C''は[[境界層|境界層剥離]]を表す。]]
主翼の[[翼型]]には開発当時の最新技術である「リア・ローディング翼型」が採用されている{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。この翼型の翼断面は前縁が大きな丸みを帯び、上面は比較的平らで下面は後縁がえぐられたような形状である{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|松田|1981b|p=103}}。高亜音速や遷音速<ref group="注釈" name=transonic/>で飛行すると、機体の飛行速度が[[マッハ数|マッハ]]1以下でも翼面上を流れる空気は局所的に音速を超えることがある{{sfn|李家|2011|p=119}}。音速を超えた気流は大きな負の圧力を示し、翼を引きつけるよう作用する{{sfn|李家|2011|p=120}}。しかし、この気流は翼面上の後方に向かって最終的に飛行速度まで減速するため、音速以下に戻るところで[[衝撃波]]が発生して抵抗の急増や飛行性の急変を起こす{{sfn|久世|2006|p=115}}{{sfn|李家|2011|p=120}}。巡航状態におけるリア・ローディング翼型の圧力分布は、翼上面の前縁付近に負圧が最大になる地点(すなわち流速が最大になる地点)があるがそのピークは従来のピーキー翼型と比べて低く、翼表面の流速が音速を超えても抵抗が急増しない{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|Obert|2009|pp=252&ndash;253}}{{sfn|松田|1981b|pp=103&ndash;104}}。続く上面の圧力分布は翼弦長の中程までほぼ一定で、そこから後縁に向けて穏やかに低下する{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|Obert|2009|pp=252&ndash;253}}{{sfn|松田|1981b|pp=103&ndash;104}}。一方翼下面では、一旦負圧が上昇するが後半部のえぐりにより流れが減速されて上面との圧力差が確保されるため、翼弦上の後方で多くの揚力を得ることができる{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。この翼型の特性は、1968年に[[アメリカ航空宇宙局]](NASA) (NASA) が開発したスーパークリティカル翼型と基本的に同じであるが、翼の設計を行った[[ホーカー・シドレー]]社は、NASAとは独立にリア・ローディング翼型の開発に至ったとしてスーパークリティカル翼型の一種とは認めていない{{sfn|浜田|2010a|p=97}}。リア・ローディング翼型は衝撃波の発生を遅らせ揚力係数を増加できることから、後退角と翼厚比を同じくした場合に従来の翼型よりも高速で飛行できる{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|渡邊|1981a|p=6}}。しかし、欧州域内を結ぶ短中距離機として開発されたA300では高い巡航速度は不要とされ、前述の通り後退角を減らし翼厚比を大きくする設計がなされた{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|松田|1981b|p=104}}。主翼の空力設計が優れていたことが、A300が成功した要素の一つとも言われる{{sfn|谷川|2016|loc=位置No.1027/1772}}。
 
{{Multiple image|align=right|direction=vertical
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降着装置は引き込み式で、前脚は2輪式で前方へ格納、主脚は4輪ボギー式で内側へ格納される{{sfn|青木|2010|p=68}}。主脚の車輪は[[アンチロック・ブレーキ・システム|アンチスキッド機能]]付きの油圧ディスクブレーキを有する{{sfn|青木|2010|p=68}}。主脚のタイヤとブレーキはB2からB4への重量増に対応して次第に強化されている{{sfn|松田|1981b|p=108}}。尾部には[[テールスキッド]]を備え、離着陸時に尾部が地面に接触してしまった際にはショックを吸収できるようになっている{{sfn|松田|1981b|p=108}}。
 
A300の主要構造部材の大部分は[[アルミニウム合金]]が使用されている{{sfn|渡邊|1981a|p=7}}。主要部分の一部には[[鋼|スチール]]や[[チタン]]合金も用いられているが、[[マグネシウム合金]]は一切使われていない{{sfn|渡邊|1981a|p=7}}。主翼の縦通材と外板は[[リベット]]接合で、胴体については外板とフレームはリベット、外板と縦通材は[[接着]]により接合されている{{sfn|渡邊1981a|pp=8&ndash;9}}{{sfn|松田|1981b|p=107}}。DC-10では接着は腐食の問題があるとして主構造部材<ref group="注釈" name=structure/>には全く使用しなかったのと対照的に、エアバスでは腐食対策を十分に施すことで接着も採用された{{sfn|藤田|2001a|p=47}}。また、費用対効果が見合う部品には[[削り出し|一体削り出し]]も多用された{{sfn|松田|1981b|p=107}}。そのほか、二次構造部材<ref group="注釈" name=structure/>の一部には[[複合材料]]も採用されている{{sfn|渡邊|1981a|p=7}}{{sfn|Airbus|2007|p=2}}。たとえば、垂直安定板の縁部、翼胴フェアリングおよびトラックレールの[[フェアリング]]などにはガラス繊維強化プラスチック(GFRP) (GFRP) が用いられ、水平安定板の翼端の一部には[[炭素繊維強化プラスチック]](CFRP) (CFRP)が用いられている{{sfn|渡邊|1981a|p=7}}{{sfn|Airbus|2007|p=2}}。
 
=== 飛行システム ===
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[[旅客機のコックピット|コックピット]]の各システムの制御パネルにはそのシステムの概要が図示されているほか、操作機器類の配置はシステムを構成しているロジックと同じ連続性を持つよう配置されている{{sfn|渡邊|1981b|p=17}}。各表示機器も実際のシステム構成要素の配置と相関を持つように配置され、操縦士が状況を把握しやすいよう工夫されている{{sfn|渡邊|1981b|p=17}}。主警報パネルは3名の乗務員から見やすいよう、中央のパネルに取り付けられている{{sfn|渡邊|1981b|p=17}}。航空機関士のシステムパネルは右舷側にあるが、エンジン始動後は着陸して停止するまで航空機関士が前向きに座って乗務できるよう操作パネルが配置されている{{sfn|松田|1981b|p=111}}。この考え方をさらに一段階すすめて開発されたコックピットがFFCC(Forward Facing Crew Cockpit の略)であり、システムパネルの機器類を中央のオーバーヘッドパネル(コックピット天井のパネル)に移設して航空機関士は常時前向きで乗務できるようにし、必要であれば操縦士2名だけでも運航可能となった{{sfn|松田|1981b|p=111}}{{sfn|EASA|2014|p=28}}。
 
A300第1世代の飛行システムやコックピットは、[[アビオニクス]]の技術進歩に対しても対応できるよう、機器類の搭載スペースや冷却能力には余裕をもって設計された{{sfn|渡邊|1981b|p=19}}。特に[[ブラウン管]](CRT) (CRT) を利用したディスプレイの搭載や計器類の増設、そして電気信号を介して動翼を操縦する[[フライ・バイ・ワイヤ]]の導入にも備えた設計がなされた{{sfn|渡邊|1981b|p=19}}。実際にA300の派生型として開発されたA310や、A310の技術をA300にフィードバックした発展型のA300-600ではCRTディスプレイを用いたいわゆるグラスコックピット化が実現し、操縦系統の一部にはフライ・バイ・ワイヤも採用され、正副操縦士のみの2人乗務での運航が標準となった{{sfn|藤田|2001a|p=49}}。
 
安全性に対するリスクを抑えつつ整備性を向上させるようシステムの分離も図られてり、A300第1世代では特に電源系統と油圧系統の分離が重点的に行われている{{sfn|渡邊|1981b|p=18}}。整備および点検を簡素化できるよう、システムの各構成要素は整備性の良い場所にまとめて配置され、その近くには取り外しを行いやすいアクセスパネルが設けられている{{sfn|渡邊|1981b|pp=17&ndash;18}}。複雑なシステムおよびサブシステムには、BITE(BuiltBITE (Built In Test Equipment)Equipment) と呼ばれる検査装置が装備されている{{sfn|渡邊|1981b|p=18}}。BITEはシステムの作動状況や故障状態を自動的に検知して、表示・記録することができ、整備や飛行前点検などにおける業務負荷の軽減が図られている{{sfn|渡邊|1981b|p=18}}。
 
A300のシステム構成要素は一部を他機種とも共通性・互換性があり、特にDC-10とは広範囲に及ぶ{{sfn|渡邊|1981b|p=18}}。エンジンポッド全体はDC-10-30と同じでAPUや発電機、エアコン装置や防氷装置等の主要部もDC-10と同じであるほか、油圧ポンプは747、DC-10、L-1011と同じであり、主要機器のなかの80点は米国製の機体と共通である{{sfn|松田|1981b|p=108}}。
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A300はシリーズ全体で561機が顧客へ引き渡された<ref name=JADC-data1/>{{sfn|青木|2010|p=156}}。そのうちA300第1世代が249機で、A300-600シリーズが312機であった{{sfn|青木|2010|pp=69, 78}}。この他、A300-600STは5機ともエアバス・トランスポート・インターナショナルにより運用されている{{sfn|青木|2010|pp=78&ndash;79}}
 
A300第1世代の新造機での導入数が最も多かったのは、イースタン航空でその数は32機であった{{sfn|佐藤|2001}}。10機以上の新造機を導入したのは、欧州ではエールフランス(23) (23) とルフトハンザ航空(11) (11)、米国ではイースタン航空と[[パンアメリカン航空]](12) (12)、アジアでは[[タイ国際航空]](12) (12)、東亜国内航空(後の[[日本エアシステム]])(11)) (11)、[[大韓航空]](10) (10)、[[インディアン航空]](10) (10)であった(括弧内は導入機数){{sfn|佐藤|2001}}。
 
A300-600シリーズを新造機で最も多く導入したのは[[UPS航空]]で53機、次いで[[FedEx]]が42機導入しており、貨物航空会社が上位を占めた{{sfn|佐藤|2001}}<ref name=airfleets/>。新造機を10機以上導入した旅客航空会社は、導入数の多い順に[[アメリカン航空]](34) (34)、大韓航空(24) (24)、日本エアシステム(22) (22)、タイ国際航空(21) (21)、ルフトハンザ航空(13) (13)、[[サウディア]](11) (11)、[[チャイナエアライン]](10) (10)、[[中国東方航空]](10) (10)、[[ガルーダ・インドネシア航空]](10) (10)であった{{sfn|佐藤|2001}}<ref name=airfleets/>。
 
エールフランス、ルフトハンザ航空、イベリア航空、アリタリア航空といった欧州の主要航空会社は、A300を欧州内幹線で運航した{{sfn|谷川|2002|p=134}}。A300第1世代の運航機数が最も多かったのは1980年代後半で約240機をピークに引退が進み、A300-600については2000年代中盤の約290機をピークに引退が進んでいる<ref name=JADC-data3/>。初期の運航会社が放出した機体は、中古機として中小規模の航空会社で採用されたほか、貨物専用型へ改造され貨物航空会社でも運航されている{{sfn|谷川|2002|pp=134&ndash;135}}。
 
2016年7月現在では、A300第1世代が13機、A300-600シリーズが197機運用されている<ref name=WAC2016/>。運用数の半数以上は貨物航空会社によるもので、運用数の首位はFedEx(68)FedEx (68)、以下UPS航空(52) (52)、[[DHL]]の関連会社である{{仮リンク|ユーロビアン・エア・トランスポート|en|European Air Transport}}(21) (21) と続き、上位3社ともA300-600のみの運用である<ref name=WAC2016/>。旅客航空会社でA300を運航しているのは中東やアフリカの航空会社を主とした数社で、[[マーハーン航空]](15) (15)、[[イラン航空]](7) (7)、[[エジプト航空]](3) (3) などとなっている<ref name=WAC2016/>。運用数の中には5機の[[エアバス ベルーガ|A300-600ST]]も含まれる<ref name=WAC2016/>。
 
=== 日本での運航 ===