「アウラングゼーブ」の版間の差分
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→マラーター王国の創始とジズヤの復活: ×賦活→○復活 |
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[[1661年]]1月に廃帝シャー・ジャハーンが死亡すると、5月にアウラングゼーブはアーグラ城へと入った<ref name="p208">小谷『世界歴史大系 南アジア史2―中世・近世―』、p.208</ref>。同月[[5月16日|16日]]、アウラングゼーブは父帝が作らせた「[[孔雀の玉座]]」に座して[[ダルバール]]を開き、アーグラに到着していたシヴァージーもこれにへと出席した、
ところが、アウラングゼーブは応対に際して、シヴァージーに侮辱的な態度で接し、そのうえ与えた[[マンサブ]](位階)はその実力に見合わない、ラージプートの諸王よりも低いものだった。おそらく、アウラングゼーブは、マラーターが新興[[カースト]]であることで、地位的にはさして重要なものとは思っていなかったのであろうと考えられる。
シヴァージーはこれに激怒し、面会中に公然と自身の感情を吐き捨てて宮廷を退去し、アウラングゼーブとの関係は悪化した。
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