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===厳格な宗教政策===
[[File:The Emperor Aurangzeb Alamgir.jpg|thumb|right |アウラングゼーブ]]
アウラングゼーブの治世には、父帝シャー・ジャヤハーンの治世から強まった宗教不寛容がさらに強まり、ムスリム以外の異教徒が弾圧され、とりわけヒンドゥー教徒にその傾向が強まった。シャー・ジャハーンといえども、特別な事情がない限りは大幅な宗教寛容をとってきた<ref name="c233">クロー『ムガル帝国の興亡』、p.233</ref>。アウラングゼーブ自身、祖母や曾祖母はラージプートの女性でヒンドゥー教徒であり、[[ティムール]]の血も随分と薄まっていたが、彼は過去の皇帝とは違って異常なまでにイスラーム教に傾倒していた<ref name="c233"/>。
 
即位の翌年、[[1659年]]にアウラングゼーブはヴァーラーナシーの行政官に命じて、同地に新しく建てられたヒンドゥー寺院を破壊させた。また、新たなヒンドゥー寺院の建築を禁じ、10年から12年以内に建てられた新しい寺院を取り壊すよう命じた<ref name="p235">クロー『ムガル帝国の興亡』、p.235</ref>。このとき同時に、ムスリムには禁忌食物の接取や飲酒、博打、麻薬などの娯楽行為を禁じていることから、ムスリムにもイスラーム教の教理に反することを認めておらず、双方に厳しい態度をとっていたことがわかる<ref name="p271">辛島『新版 世界各国史7 南アジア史』、p.271</ref>。