「バンザイ突撃」の版間の差分

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== 米陸軍第442連隊戦闘団における「バンザイ突撃」 ==
[[第二次世界大戦]]の[[西部戦線 (第二次世界大戦)|欧州戦線]]において、[[日系人]]のみで編成された[[アメリカ陸軍]]の「[[第442連隊戦闘団]]」は、[[日本語]]の「[[万歳|バンザイ]]」を含む各種の雄叫びを上げての[[突撃]]を実行した。ただし、海外で認知誤解されている「進退窮まった[[部隊]]が最後の[[戦術]]として行う自殺的な突撃」を意味する「バンザイ突撃」とは別物で、日本陸軍と同じ通常[[戦術]]としての、鬨の声を上げての白兵突撃である。用いられた言葉も「バンザイ」だけではなく、[[ピジン言語|ピジン英語]]で「死ね」という意味の「マケ」、日本語の「バカヤロー」など、個々の[[兵士]]の叫び声がこだまし、その絶叫は近隣の村にまで響く程であったという。
 
一説には[[1943年]][[11月3日]]の[[ナポリ]]南方、ボルツレノ川渡河作戦で、[[ドイツ国防軍|ドイツ軍]][[狙撃手|狙撃兵]]に対し[[ショベル|スコップ]]を[[武器]]として突撃をかけたのが最初とされる。この時は個人による突撃に続いた[[小隊]]規模のものであったが、後に[[戦闘]]の決着をつける、着剣しての白兵突撃が[[中隊]]単位でも行われるようになった。もっとも、日系部隊に限らず最後の突撃は一般的に見られたが、特に[[ブリュイエール]](ブリエラ)の解放を巡る戦いでこの戦法が多用され、戦場となった[[丘]]は記録者により「バンザイヒルズ」と命名され、[[アメリカ合衆国国務省|アメリカ国務省]]に報告されたという。