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==歴史==
[[崇神天皇]]の時代に創立され、[[法隆寺]]の鎮守とされていた。伝承によれば、[[聖徳太子]]が[[法隆寺]]の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。[[延喜式神名帳]]にもこの名前で記載され、小社に列している。しかし、後に[[龍田大社]]より[[天御柱命]][[国御柱命|國御柱命]]の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
 
明治の[[神仏分離]]により法隆寺から離れ、三郷町立野の[[官幣大社]]龍田神社(現・[[龍田大社]])の[[摂社]]となった。独立の請願の結果、大正11年3月に龍田大社より独立し、県社に列格した。