「田岡一雄」の版間の差分

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*[[1953年]](昭和28年)<ref group="注釈">『田岡一雄自伝』巻末年表では[[1951年]]としている。理由は不明。</ref>、[[山本健一 (ヤクザ)|山本健一]]らによる[[鶴田浩二襲撃事件]]で鶴田襲撃を命じた張本人とされて全国指名手配を受け、同年[[4月20日]]、天王寺署に出頭、逮捕される。同年[[5月4日]]、処分保留で釈放され、不起訴処分となる。
*[[青田昇]]によれば、戦後の混乱期においてはプロ野球の試合は、地回りの興行組織の機嫌を伺わなければ開催できずに嫌がらせを受けていたが、プロ野球ファンであった田岡は、野球は国民的娯楽だからと[[山口組]]の全国進出以後はそのような慣習なしでも開催できるよう取り計らいをしたという<ref>青田昇『ジャジャ馬一代 遺稿・青田昇自伝」』P316-317</ref>。
*[[1968年]](昭和43年)1月11日には[[吉本興業]]の [[林正之助]] 社長と共に、「レコード会社乗っ取り容疑」で兵庫県警に逮捕されている。(不起訴)
*組員に合法的な収入元を持つように勧めた。
*それまでのヤクザ組織には無かった合法事業を持つ[[企業舎弟|舎弟]]と[[若衆]]には、非合法な事業を扱わせずに、組織の分業化を進め、結果として組の運営を合法事業と非合法事業に分けることにより、安定した資金元と、非合法な力を持つことになった。