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| website =
| alma_mater = セントピーターズ・カレッジ(1907年卒、学士)<br />[[コロンビア大学]](1917年修了、哲学博士)}}
'''ウィリアム・ジェイムズ・ダラント'''({{lang-en-short|William James Durant}}、{{IPAc-en|d|ə|ˈ|r|æ|n|t}}、通称'''ウィル・ダラント'''、通用される日本語表記では'''ウィル・デュラント'''、'''ウィル・デューラント'''、[[1885年]][[11月5日]] - [[1981年]][[11月7日]])は、[[アメリカ合衆国]][[マサチューセッツ州]]出身の[[著作家]]、[[歴史家]]、[[哲学者]]である。妻のアリエル・ダラントと共同で著し、1935年から1975年に出版した11巻本、『文明の話』でよく知られている。それ以前の1924年に出版した『哲学の話』でも知られており、「哲学を大衆化することに貢献した画期的な作品」だと言われた<ref name = Rogers>{{cite book | last = Rogers |first=Will|title=The Papers of Will Rogers|year= 1966|publisher= University of Oklahoma Press|page = 393|editor-first = Steven K | editor-last = Gragert}}</ref>。
 
ダラントは哲学について全体像の感知、すなわち物事を「sub specie totius」(全的相の下に)見るものと考えた。これは[[バールーフ・デ・スピノザ]]の「sub specie aeternitatis」(永遠の相の下に)という成句にヒントを得たものだった。ダラントは歴史に関する知識の大きな実態を統一し人格化することを求めた。それは膨大な量に成長しており、深遠な専門分野に細分化されていたので、それを時代に合わせるために活性化させようとした<ref>{{cite book| last= Durant | first = Will | title=Our Oriental Heritage|year=1935|publisher=Simon & Schuster|page = vii}}</ref>。