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== 生涯 ==
ブレイドは
ブレイドは、死の直前まで、催眠に積極的な関心を示し続けた。
== ブレイドとメスメリズム ==
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ブレイドの用いた催眠導入法は凝視法と呼ばれる、被験者を一点に集中させて目の疲れを促し同時に暗示を入れるもので、現在でも用いられる古典的催眠手法の一つである。彼はこれによって、磁力を用いずとも全く同じ現象を発現させることに成功した。
またブレイドは1844年の公演で、従来催眠によって発現するとされた、[[透視]]、[[千里眼]]、読心などが間違いであることを証明した。
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ブレイドは、外科医として十分な名声を得ていたためか、催眠によって名声を得ることは消極的であったが、彼の創出した理論と催眠という言葉は受け継がれた。特に彼の暗示説は、[[フランス]]、[[ナンシー]]に拠を構える[[アンブロワーズ=オーギュスト・リエボー]]に受け継がれた。彼を中心としたナンシー派は、[[パリ]]・[[サルペトリエール病院]]の[[ジャン=マルタン・シャルコー]]の唱える「大催眠」説と対立したが、[[1889年]]にナンシー派が勝利することで、ブレイドの唱えた「暗示説」が現在にまで続くこととなる。
イギリス国内では特に
[[ミルトン・エリクソン]]はブレイドを評し「''ブレイドは、自身が調べるうち、催眠が全て暗示によるものだという結論に達した。それは科学的、精神学的な最初の成果だった。彼は、催眠の技術と、催眠トランスにより発生する様々な現象について詳細に研究した。彼は、驚くほど現代的かつ広範囲な論文を膨大に残した''」と語っている<ref>Erickson, M.H. 'Historical Sketch', Medical Record, December 5, 1934.</ref>。
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[[Category:イギリスの医学者]]
[[Category:イギリスの精神科医]]
[[Category:イギリスの精神分析家]]
[[Category:催眠]]
[[Category:マンチェスター出身の人物]]
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