「西牟田永家」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
タグ: カテゴリを含まない記事の作成 ビジュアルエディター |
(相違点なし)
|
2017年3月21日 (火) 08:48時点における版
西牟田公家(にしむた ながいえ、生年不詳)は鎌倉時代の武将。西牟田彌次郎永家。筑後豪族西牟田氏の当主。
西牟田彌次郎家氏の嫡男。
。
生涯
筑後豪族西牟田氏に生まれた。
弘安の役の際には、他の九州御家人らとともに、建治2年(1276)3月より博多で陣地構築を行い、弘安4年(1281)7月には松浦湾の鷹島に駐留する10万の元軍と戦い、肥前国神崎の荘園数か所を恩賞として賜っている。
鷹島には、西牟田永家の墓と伝えられる五輪塔が現存している。
西牟田氏の菩提寺寛元寺には、徳治2年7月7日、徳治2年丁7月10日、徳治3年3月10日付の寄進状も残されている(署名は永家の法名である沙彌浄西)。
脚注
参考文献
- 佐賀藩「西牟田氏系図」
- 矢野一貞『筑後将士軍談』中巻(名著出版)
- 馬渡俊継『九州治乱記』(青潮社)
- 犬塚盛純『歴代鎮西志』上巻(青潮社)