「ノアの方舟」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
50行目:
 
* 古くは、[[紀元前3世紀]]に、[[バビロニア]]の歴史家[[ベロッソス]]が書き残していた。
* [[1世紀]]のユダヤ人の歴史家[[フラウィウス・ヨセフス]]は『[[ユダヤ古代誌]]』の中で「アルメニア人が箱舟がたどり着いたとされるところを『上陸地点』と呼び、今でも残骸を見せてもらえる。」と記述している他、以前の人の記述としてカルデア人ベーローソス(上述のバビロニアのベロッソス)の「箱舟の一部は現在でもアルメニアに残っていて地元の住民はアスファルトを剥がして魔除けに使う」の話などを乗せている<ref>フラウィウス・ヨセフス『ユダヤ古代誌』第1巻92-95節</ref>
* [[13世紀]]には、[[マルコ・ポーロ]]が『[[東方見聞録]]』の中で言及していた。
* 中世にはアララト山自体、神聖視されていたが、[[1840年]]の火山噴火により、付近一帯が壊滅状態となった(それ以降の噴火はない)。